楼桑村(中国河北省の?州市)は、三国志の英雄、劉備の故郷であり、劉備が関羽、張飛と義兄弟の契りをした場所としても有名です。また、張飛が肉屋の時代に肉を冷やしていた古井戸や張飛廟などもあります。三義宮と張飛廟を中心に、楼桑村を写真とともに紹介します。 ?州(たくしゅう)市は、北京市に隣接する市で、北京からバスで1時間強も乗れば到着します。?州市は、三国志の英雄、蜀の劉備玄徳が兵を起こす前に住んでいた楼桑村のあった地域で、また、関羽と張飛という生涯の仲間と兄弟の義を結んだ場所でもあります。日本では一般的には「桃園の誓い」といわれていますが、中国ではこれを「桃園三結義」と言います。
?州市は、三国志ファンの聖地の一つですが、スポットとしては、次の通りです。
@三義宮
A張飛廟(張飛の古井戸を含みます。)
B劉備故里
C三義広場
このうち、私が行ってきたのは、三義宮と張飛廟です。劉備故里は劉備の家があったとされるところですが、今は桑の大樹もなく見通しの利かない林の中に碑だけがポツンと立っているだけだと聞いているため、訪問していません。また、三義広場には黄巾族討伐に向かう馬上の三人の勇ましい像があるのですが、ここもその像だけ見に行くのもどうかと思って訪問していません。
上の写真は三義宮の入口です。
ここでは、?州市での観光スポットのうち、三義宮と張飛廟について、そのポイントをまとめています。詳しい紹介は、それぞれのページを参照ください。
まず、三義宮です。上の写真の通り入口は立派ですが、服務員は普段着姿でのどかです。文化大革命時に破壊されてしまいその後暫く閉館されていたものを、新たに再建し現在に至っています。?州市としては、三国志を町興しに活用しようとしていると言われていますが、その象徴的なスポットが、ここ、三義宮です。
しかしながら、この日は広い駐車場がむなしく空いていましたし、お客さんも私たち以外には全くいませんでした。?州市街からのアクセスが悪すぎます。私たちは白タクで行ったので市政府付近から10分弱で到着しましたが、貸し自転車で行ったら三十分以上かかるのではないでしょうか?
入口で入場料20元を支払って三義宮に入ると、こんな風景が広がります。劉や関や張といった旗がたなびくなか、三義宮の奥へと進んでいきます。
三義宮は、隋の時代に建てられた歴史的な建物で、以降、唐の時代から明・清の時代の修復を経て、忠義の心を語り継ぐ貴重な施設として広く知られていましたが、20世紀後半の文化大革命時に破壊しつくされてしまった経緯にあります。
今の三義宮は1996年に?州市旅行文化局によって再建されたもので、山門、馬神殿、関羽殿、張飛殿、正殿、退宮殿、武侯殿、少三義殿の各建物と、87の蜀将等の彫像を再現しています。
したがって、ほとんどは1990年代に建造された建物ですから、綺麗ではありますが、歴史を感じさせるものではありません。
写真正面が馬神殿です。
馬神殿には、こんな彫像もあります。
てっきり張飛かと思いきや、呂布の愛馬である赤兎馬(せきとば)と馬子だということです。馬の神様というと、やはり赤兎馬になってしまうのでしょうか。馬神殿にあるもう一つの白い馬は、劉備が乗っている的蘆(てきろ)です。
馬神殿を通り抜けると正殿です。美しい建物です。
正殿という名が付いているので、この三義宮のハイライトともいえます。否が応でも期待が高まります。
正殿の中央に鎮座している劉備玄徳像です。高さ2メートル以上あって、天井まで届きそうな高さですから、かなり立派なものです。
正殿には、正面に劉備を挟んで、関羽と張飛が鎮座し、向かって左側の壁に沿って武官系の将たちが、また、向かって右側の壁に沿って文官たちが屹立しています。
正殿には道士みたいなおじさんがいて、中国語で話してきます。確か10元だったと思いますが、それを支払うと写真のように私たちの名前を書いた布を持って劉備様に祈ってくれます。結構長いこと祈ってくれまして、途中で布に書いた私たちの名前も読みながらの熱演です。私たちの名前を書いた布は、写真ではおじさんの右に見えるように、劉備様の像の周りにぶら下げられます。
お祈りが終わると、道士みたいなおじさんは私たちを横のテーブルに連れて行きました。てっきり占いか何かを始めるかと思ったのですが、「さらに一人100元支払えば、これから毎日自分が劉備様にお祈りをするので、事業成功・家庭平安間違いない。さらに100元を支払って毎日のお祈りをしてあげましょう。」などと中国語で言ってきます。勿論、お断りさせていただきましたが、こんなことを日本人に言ってくるところを見ると、こんなのに金を払う日本人が後を絶たないのでしょうね。 さて、文官たちの彫像です。因みに、左が正殿の奥ですので、左が上席ということになります。
前列は、左が羽扇を持っているので諸葛亮孔明だということは誰でも分かります。右側は、?統でした。文官系では、この二人が前列なのは分かる気がします。後列は、諸葛亮の左後ろが費?、右へ伊籍と馬良です。馬良は白眉かと思いきや黒い眉でした。実は、後列はさらに左(上座)に二人、許靖と法正がいました。許靖は意外ですね。むしろ、麋竺がいてもいいのに、なんて思ってしまいます。
ということで、文官系は7名です。
一方、劉備に向かって左側は武官系が並んでいます。
前列は2名。この二人は分かりやすくて、左が趙雲、右が黄忠です。
後列は、左から、王平、廖化、魏延と並び、さらに右側(上座)に馬岱と姜維が並んでいます。馬超がいないのはどうしてでしょう。やはり、中国では三国志演義の中での評価でしょうけど、日本の場合は吉川英治や北方謙三の小説で読む人が殆どですから、武将の人気や評価も、日中間で違いがあるのでしょうね。
正殿以外にも、既に書いたように、関羽殿、張飛殿、退宮殿、武侯殿、少三義殿と建物がありますが、その詳細は別のページでごらんいただくこととしたいと思います。因みに、上の写真は関羽殿にある関羽像です。財神としても祀られています。
一方、こちらは張飛廟の入口です。三義宮から車で5分程度です。
張飛廟としてよりも、張飛が肉を市場で販売していたときに、冷蔵庫代わりに使っていた古井戸があることで有名です。
入口付近にある張飛像です。張飛はもともとは?県の出身ではありません。かつて鴻家の家来だった張飛が、再起を志しつつ、市場で肉を売りながら潜伏していた場所が?県で、当時使っていた井戸がまだ残されているということもあって、ここ?州において、張飛の人気は関羽を明らかに凌いでいます。
張飛の古井戸は、この東屋のところにあります。
当然ですが、もう、井戸としては使われていません。
井戸の中を映してみました。勿論何も見えないですね。
水の潤沢な井戸だったのでしょう。張飛は肉を腐らせないように、この井戸の中で肉を保存していたといわれています。張飛が肉屋をやっていたのは西暦180年ごろですから、今から1800年と少し前に、張飛がこの井戸を使っていたのかと思うと、三国志ファンの私としては、ちょっと嬉しくなってしまいます。
張飛廟にある張飛の彫像です。怖い顔というよりも赤ら顔ですね。ちょっと可愛い張飛です。
張飛廟についても、詳しいことは別のページで見ていただければと思います。
張飛廟の壁に描かれている張飛と関羽です。
この?州の三国志スポットにいると、三国志の世界にどんどん引き込まれていってしまいます。
行かれた方からは、意外に大したことない、道士が金儲け主義だ、サービスがなってない、などとあまり良い評判は聞きませんが、間違いなく三国志ファン、特に蜀のファンの聖地であることは間違いありません。しかも、北京から一時間強という地の利もありますので、ぜひ、興味ある方は行かれることをお勧めします。
1800年以上の時間差があるとはいえ、その昔、劉備、関羽、張飛が吸っていた空気を、この体で味わえるのです。それだけでも価値ある街が?州です。