アジア写真帳アジア写真帳(中国)アジア写真帳(上海)>虹口(ホンキュー)を歩く

アジア写真帳(上海):虹口(ホンキュー)を歩く

アジア写真帳(上海)


魯迅公園周辺


 虹口(ホンキュー)とは、黄浦江沿いにある上海大厦(旧ブロードウェイマンション)のあたりから北四川路沿いに北に上って魯迅公園(旧虹口公園)の辺りまでの一帯を指していて、一時は10万人を超える日本人が住んでいたエリアです。当時、人口約7,200万人の日本人のうち外地に住んでいた人は約600万人いたということですが、旧満州だけでなく上海にも相当数の日本人が住んでいたわけです。 そんな虹口(ホンキュー)の街を、魯迅公園を起点に少し歩いてみましょう。
 上の写真は魯迅公園で笛を吹くおじさんです。魯迅公園では、こうした地元の人たちのパフォーマンスをあちこちに見ることができます。特に、朝が賑やかでいいですね。魯迅公園についてはこちらのページを参照してください。


 魯迅公園のベンチで、自分の音楽の世界に深く入り込んでいるおじさんです。みなさん、思い思いにそれぞれの時間を楽しんでいます。

 

 魯迅公園を出て虹口(ホンキュー)の街を歩いてみます。
 自転車でドリアンを売りに来ているおじさんです。懐かしいですね、こういう風景。虹口(ホンキュー)の街を歩いていると、こんな昔の上海そのままの光景を目にします。未来都市のような上海ですが、むしろ私はこういう上海の街の方が好きです。

 
 
 魯迅公園近くの路上市場です。甜愛支路という通りです。すごい賑わいです。普通に店舗を構えるより、ここで店を出した方がお客さんが集まるのではないかという感じです。

 
 甜愛支路から甜愛路へと曲がる角には食べ物の屋台もいくつか出て、さらに賑わいます。写真は焼餅(しゃおびん)屋さんです。焼けるのを待って次々と売れていきます。すごい活気です。

 
 
 食べ物屋台のそばにはテーブルなどもあって、ここで軽食をとりながら一休みする人々もいます。この庶民的な雰囲気が虹口(ホンキュー)なんです。


 虹口(ホンキュー)の街では、街角のお菓子屋さんもノスタルジーを感じさせるような店構えで、日常性が感じられていいですね。もちろん、マクドナルドやケンタッキーといったファストフード店も増えてきていますが、こうした庶民的なお店が残っているのも虹口の特徴です。




 虹口(ホンキュー)の街を歩く若い女性。新天地、田子坊や准海路あたりの繁華街と違って、気取らない感じ、ちょっと醤油くさい感じが親しみを感じさせます。


 この日は、地下鉄で虹口足球場(サッカー場)駅まで来て、四川北路を多倫路に向かっています。このあたりの若者は、すれてない素直そうな人ばかりですね。
 でも、この写真で見ていただきたいのは次の二つです。
 一つは、右側のメガネをかけたお姐さんです。iPhone(アイフォーン)を使っています。中国、特に上海ではiPhone(アイフォーン)の普及は日本以上に進んでいます。
 もう一つは、左に見えるおばさんです。片道4車線の道路を徒歩で横断しています。危険だとは思いますが、気持ちが分からないわけではありません。何故なら、確かに横断歩道橋とか信号とか、安全に横断する場所が近くにないのです。でも、皆さんは危険な横断はやめましょう。


 そんな街角・人物ウォッチングをしながら四川北路を歩いていると、多倫路に入ります。多倫路文化名人街には、魯迅や郭沫若など、主に中華人民共和国の成立に貢献のあった文人を中心として、像が置かれています。内山書店のオーナー、内山完造の像もあります。また、多倫路は書画骨董の店が多く、中国文化に触れるのに格好の場所でもあります。

【中国聯通香港】中国、香港、マカオと台湾で使える
3Gデータ プリペイド SIMカード「跨境王」


 私は、香港、台北、深?や上海に仕事や旅行でたびたび行くことがあります。 そんな時に私が使っているのが「跨境王」というSIMカードです。私のように日本で買ったiPhoneをSIMロック解除していれば、SIMカードを入れ替えるだけで日本の携帯を現地でもすぐ使えるようになります。
 旅行期間中だけ使っても価格的に損はないですし、頻繁に行く人はチャージすればいつまでも同じ番号で携帯を使うことができます。SIMカードの入れ替えは簡単ですし、チャージの方法などは同梱されている日本語説明書に丁寧に書いてあります。
 中国聯通香港(チャイナユニコム香港)のSIMカードですから、中国にいるときもフェイスブック、TwitterやGoogleを利用できることも、このSIMカードの長所です。


魯迅故居のある山陰路 


 虹口に来たら、かつて魯迅が住んでいたアパートにも行ってみましょう。魯迅故居は虹口の山陰路にあります。四川北路と山陰路の交差点(内山書店跡、現在の中国工商銀行が立っているところ)から徒歩5分くらいです。
 山陰路もまた虹口らしい庶民的な街です。

 
 
 住宅街の中に人だかりがあると思ったら八百屋さんでした。朝の10時頃なのですが、これは驚くべき人気ぶりです。店の中も覗いたみたのですが、普通の八百屋さんの品揃えなので、きっと破格の安さか何かが売りものなのでしょう。
 このあたりの建物は、日本人が沢山住んでいた頃の建物そのままだと思われます。

 
 
 そして、床屋さんというべきか、美容院というべきか迷うところですが、看板の写真からすると美容院なのでしょうか。でも、店内を見ると頭を洗う洗面器なども見えて、その設備からすると床屋かなあとも思います。
 しばらく人の出入りを待ったものの誰も出入りしないものですから、結局わかりませんでした。虹口(ホンキュー)を歩いていると、こんな風にあちらこちらで寄り道してしまうものですから時間がかかります。


 そうこうしているうちに、魯迅故居に到着です。上の写真が魯迅故居です。当時、中国政府から終われてた魯迅が内山書店の内山完三の支援を得て隠れ住んでいたのがこのアパートです。( 内山完三については、伝説の日中文化サロン上海・内山書店 (平凡社新書)に詳しく描かれていますので参考にしてください。)
 中にも入れるのですが、実は公開時間が4時半まででした。5時までは入れるだろうと思っていたですが、意外に閉館が早いですね。虹口の街が面白くてあちこち見てから最後に魯迅故居に来たものですから、せっかく来たのに外側から見るだけになってしまいました。残念です。
 後日、再訪していますので、その内容については魯迅故居と内山書店をご覧ください。



 横浜路界隈から路地を歩く


 さて、虹口(ホンキュー)でどこを歩くべきかというと、@魯迅公園A魯迅故居と内山書店B多倫路文化名人街C日本人街だった頃の歴史的な建物、といったところでしょうか。この@からCは北から南に並んでいるのですが、BからCの部分が少し離れています。この間を四川北路で下るのが一般的なのかもしれませんが、それでは庶民生活を見るチャンスを失うので、そこからちょっと脇道に入ってみましょう。一本、脇道に入るだけで、虹口(ホンキュー)のローカルな街が始まるのです。
 店先で点心を売っています。値段は1元もしないものが多く、さすが庶民の街、虹口です。


 ぶらぶらしていたら、路上市場のある一角に入り込みました。ここは活気があって面白いですね。
 八百屋もあります。果物屋も肉屋もあります。ここでは野菜と鶏肉を売っています。左の檻に生きている鶏が何羽も入っていて、お客さんが品定めをします。檻の後ろにいる若いお姐さんが生きがいいですよなどとすすめています。


 北京ダックの看板もあって、焼きたてのダックを買うこともできます。一羽いくらするのでしょうか。


 葡萄を中心に販売している果物屋さんです。この写真を撮る前は大変な人だかりでした。きっと甘くて美味しいと評判の店なのでしょう。スイカは後ろの方で隠れるように売られています。


 この屋台は何屋さんでしょうか。装飾品、ベルト、帽子、玩具、……。まさに何でも置いている品揃えの良い雑貨屋さんですね。


  虹口の路上市場を通り過ぎ、一般の商店街に入りました。
 果物屋さんです。この通りには余り大きなお店はなくて、どこもこじんまりした個人商店ばかりです。それがかえって庶民の街らしい風情を感じさせます。でも、こうした風景は、昭和30年代ごろの日本でもあったような気がします。近くの家族が子供連れで買い物に来ています。
 一時は10万人を超える日本人が澄んでいた虹口、着物を着た日本人女性が歩き、日本食の店が軒を連ねていたといわれています。そんな当時の面影が、虹口には残っているように感じられます。


 横浜路という通りです。ここ虹口(ホンキュー)には横浜橋があったり横浜路があったりしますが、これは日本人街の頃、日本の横浜(よこはま)に因んで名付けられたものではなく、それ以前からの名前です。


 横浜路の小吃店です。
 看板を見ると、湯包も焼売は8個で4元(日本円で約50円)、蒸し餃子は10個で4元です。おいしそうな湯気が立っています。出来立ての小吃がこの値段ですから嬉しい限りです。


 ちょっと小腹がすいているから小吃を食べようかと思いましたが、店内清掃中でしたので、ここはパスです。


 次に見つけた店はラーメン屋さんです。鶏肉が入ったラーメンや辛いラーメン等々いろいろラーメンの種類は豊富です。ワンタンも3元です。庶民の街、虹口(ホンキュー)らしい価格設定です。
 こんな風に、虹口は一本裏通りに入ると、上海の庶民の臭いを感じることのできる街です。上海の街中の無機質な雰囲気に飽きたら、ちょっとこんな所を散策するのも良いと思います。
 虹口の観光名所(?)である多倫路文化名人街については、こちらを参照してください。



日本人街の頃の建物、四川北路駅方面へ 


 日本人町の風情が残る四川北路駅付近散策のための地図を最初に載せておきます。

 

 虹口はかつて日本人が多く住んでいた街ではあるものの、再開発が進み、当時の建物が残る風景は少なくなってきました。それでも、地下鉄の四川北路駅界隈というか四川北路公園の南側というか、この一帯には、いくつか当時の名残を見せる建物が残っています。魯迅公園魯迅故居と内山書店多倫路文化名人街といったあたりからは 少し歩きますが、虹口に来たら、せっかくですからここまで歩いてみましょう。
 上の写真は 呉淞路と武進路の交差点にある虹口救火会ビルです。1915年に消防署として建てられた建物で、今でも消防署として使用されています。当時の上海の雰囲気を残す建物で、多くの日本人が住んでいた頃も火事になるとここから消防車が出て行ったのです。

 

  虹口救火会ビルから武進路を少し西へ進み、乍浦路に入ったところにあります。 虹口救火会ビルから歩いて3分くらいです。西本願寺は1906年に上海に進出してきていて、ここに移転したのは1931年です。戦後は 敵国日本の宗教施設として直ちに撤退を余儀なくされましたが、建物はその後も使用され、現在は招待所となっています。
 並木に隠れて建物はあまりよく見えません。

 

 旧西本願寺の塀に刻まれた紋章が目印です。
 なお、この旧西本願寺建物も虹口救火会ビルも、上海市優秀歴史建築に指定されていますので、しばらくは残るものと思われます。


  虹口救火会ビルから西本願寺に行く途中の武進路の風景です。このあたりは特徴的な建物はありませんが、戦中の建物がそのまま利用されていると思います。この道を歩きながら、はるばる海を渡り上海に新天地を求めて移住してきた日本人たちの儚い夢の時代を思い起こしてみるのも、虹口探索の冥利です。

 

 武進路から乍浦路を左折して西本願寺を見て、さらに 乍浦路を南下します。
 上の写真は、日本租界の名残でも何でもなくて、私の大好きな焼き味のお店が美味しこうなお肉をぶら下げていたので、思わず撮影したものです。

 

 話を元に戻し、乍浦路を南下すると、前面に円形の建物が出てきます。これがウヰルス劇場で、現在も娯楽施設として利用されている建物です。ウヰルス劇場は1930年開場の劇場で、すぐに英国人ウィリーの手に渡り、ウヰルス劇場という名に代わっています。英語名はWillie's Theatreです。
 この辺りは賑わいがあるエリアです。

 

 ウヰルス劇場を海寧路側から見ると、なるほど目立ちます。このウヰルス劇場の近くにはリッツ劇場(現星美国際電影院)もあり、当時からこの辺りが虹口の繁華街だったことが分かります。
 何となく日本風の街角なんですね、この辺りは。


 ということで、虹口の街歩きは、地下鉄の虹口足球場(虹口サッカースタジアム)駅から、北側の魯迅公園魯迅故居と内山書店多倫路文化名人街と見て回り、南側の四川北路公園南の日本人街の名残を見て歩いて、約2時間から2時間半くらいの散策です。少し疲れたと思ったら、上の写真の点点心という飲茶屋さんで、点心をつまみながら中国茶を飲んでみてください。ウヰルス劇場とは海寧路を挟んで反対側のビルの二階にあります。この点点心というレストランの点心はなかなか美味しいですよ。
 そして、帰りは四川北路駅に出れば、上海の中心部に地下鉄ですぐに帰れます。虹口への半日観光、何かと心に残る散歩道です。


アジア写真帳(上海)


おすすめの上海旅行プラン

上海の旅行プランは立てられましたか。
「アジア写真帳」では、上海を最大限にエンジョイしてもらうために、
おすすめのスポットやあなただけの「+α(プラスアルファ)」を紹介するページを立ち上げました。
卒業旅行や熟年旅行などを計画している方にも、また、
長い休暇が取れなくて3・4日の上海旅行しかできない方にも、ピッタリのアドバイス・サイトです。