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アジア写真帳(上海) : 旧フランス租界を歩く

<孫中山記念館、周恩来公館を通り田子坊へ>

アジア写真帳(上海)


瑞金賓館

上海(旧フランス租界):瑞金賓館

 旧フランス租界は、上海の持つ混沌とした異国情緒が味わえるエリアです。混沌とした異国情緒という言葉を使ったのは、上海では中国の雰囲気はもちろんのこと、上海に租界があったからこそ有する欧米文化も感じさせ、中洋折衷の独特な香りがするからです。北京や西安などは租界がなかったため、まさに中国文化を感じさせる街なのですが、上海は租界ができるまではまさに寒村で、租界ができたからこそ今の発展がある街です。そういう意味では、上海は租界を持った英米やフランスによって開発された街ということもできます。中洋の文化が交じり合うエリア、フランス租界のうち、このページで紹介するのは復興公園の周辺です。
 この散歩道は、瑞金賓館をスタート地点として、復興公園を回り、孫中山(孫文)記念館と周(周恩来)公館を経由して、田子坊まで歩くというものです。上の写真は、最近ますます人気が出てきた洋館ホテル、瑞金賓館です。

上海(旧フランス租界):瑞金賓館の本館

 こちらが瑞金賓館の本館です。もともとは、○○の邸宅として建設されたもので、いかにもヨーロッパ風の重厚な建物です。瑞金賓館は広い敷地内にロビーのある本館や宿泊棟などの建物が建てられていて、随所にフランスの香りを感じさせます。

上海:瑞金賓館にある女性の像

 宿泊等の前に立てられている女性の像。ひょっとして女神の像かもしれませんが、私が欧州文化への造詣がないものですから分かりません。女性のポーズもいいですし、ドレスの皺までが美しく見える大変素晴らしい像です。

上海:瑞金賓館の豪華な宿泊棟

 瑞金賓館の宿泊棟です。外装ばかりでなく内装や調度品も凝っているようですので、こんなホテルに泊まったら、勿体無くて外出できなくなってしまいそうです。でも、私のような貧乏旅行者も1回くらい泊まってみたいホテルです。

上海:旧フランス租界にある洋館

 瑞金賓館から復興公園を目指します。このあたりも意外に洋館が多くて、また国から保存建物として指定されている建物も少なくないため、再開発もなくフランス租界時代の建物が数多く残っているエリアです。

上海:旧聖ニコライ教堂

 皋蘭路にある旧聖ニコライ教会です。プラタナスの葉が広がっていて全景を写すのは難しいですが、瀟洒な教会です。この建物も国から保存建物として指定されています。
 この教会のある皋蘭路が思南路と交差するところに復興公園の入口がありますが、復興公園にはここからは入らず、復興公園に沿って思南路を北に歩いていきます。

上海(旧フランス租界):旧科学会堂

 思南路から南昌路に入ると、立派な洋館が見えてきます。旧科学会館です。今は市の研究所か何かになっていました。上の写真では分かりづらいですが、間口の広い立派な建物です。



上海:復興公園近くにある雁蕩路

 旧科学会館を過ぎて南昌路をさらに東へ進むと、復興公園の入口がある雁蕩路と交差します。
 上の写真は、雁蕩路です。ここまで来ると、新天地も歩いて5分ちょっとですので、街並みもちょっとお化粧(建て直しや改装)してしまっています。ここから反対側を向くと、復興公園の入口が見えます。

上海:雁蕩路

 上の写真と同じ雁蕩路です。上の写真とは反対側のサイドを写しています。この辺りの建物は、フランス租界時代の建物が保存されているようです。きれいな街並みですよね。



復興公園

上海:復興公園の案内図

 そして、復興公園に来ました。かつては、フランス公園と呼ばれていました。とにかく広い公園で、ここに来ると上海の街の喧騒がうそのようです。ただ、やっぱり上海は空気が悪いから、中国の田舎と比べると朝のすがすがしさに欠けますね。
上の写真は復興公園の地図です。

上海:復興公園の朝。ダンス風景。

 朝の復興公園は、中高年と老人の憩いの場です。南京路の朝も同じような光景が見れますが、南京路の方が年齢層はいくらか低い感じがします。
 中国の他の地域と同じように、上海の復興公園においても、朝の一番人気はダンスです。大きな音で音楽をかけながらやっていますので、すぐに見つかります。公園のあちこちでやっています。

上海:復興公園の朝。ダンス風景。

 上海は租界があった街、そして復興公園はまさにその租界の中の公園ですから、ダンスが良く似合います。かつては、租界のあちこちの公園で、「中国人と犬は立ち入り禁止」という立て札が立ったといわれていますが、今や、完全に中国人民のための公園です。

上海:復興公園の朝。ダンス。

 こんな感じで幾つになっても楽しく生きていられるのですから、少なくともこの点だけを見れば、中国人はうらやましいなとも思います。

上海:復興公園の朝。バトミントン。
 
 こちらのグループはバトミントンをしています。中国ではバトミントンは人気のスポーツの一つですので、なかなかの腕前の人もいます。

上海:復興公園の朝。太極拳。

 こちらのグループは太極拳です。先生に付いて、なかなかキリリとした太極拳をしていました。扇や剣を使ったりするグループもあります。
 ダンスにせよ、バトミントンにせよ、そして太極拳にしても、それぞれが自分の好きなことに打ち込む時間、それが復興公園の朝です。

上海:復興公園の朝。茶楼前でくつろぐ人々。

 そして、体が疲れたりお腹がすいたりしたら、こちらの茶楼の前で友人たちと語らうのです。オープンエアの茶楼です。

上海:復興公園のバラ園
 
 そして、こちらはバラ園です。朝とはいえ、夏の日差しが強いものですから、あまりバラも咲いていませんが、手入れはきれいにされています。バラの季節、それも歩いていて暑くない時間帯にもう一度来たいですね。

上海:復興公園の蓮池

 蓮の花が咲く池もあります。蓮の花の時期から1ヶ月くらい遅いので、この時期は咲いていません。それでも、池の周りでは、何人かの人が望遠レンズを付けた一眼レフカメラで池を撮影していました。
 朝の復興公園は、昼や夜の上海の街では見れない、もう一つの活気ある上海の姿を見せてくれます。

 さて、復興公園には雁蕩路口、復興中路口と皋蘭路口の三つの出入り口があります。雁蕩路側から入って復興中路側に抜けると、ほぼ園内を北から南へ歩く形になるので、復興公園の雰囲気を味わえると思います。この日は雁蕩路側から入り、復興中路口を横に見ながら、園内をほぼ一周して皋蘭路側から出ました。これから、思南路を南に向かって歩きます。孫中山記念館や周公館(旧周恩来事務所)などを経由して、田子坊(泰康路)に向かいます。



孫中山記念館

上海(旧フランス租界):孫中山記念館の入口

 復興公園を皋蘭路口から出て、思南路を南下してすぐ、孫中山記念館の入口が見つかります。孫中山とは孫文のことです。このゲートを入ると、孫中山記念館と孫中山故居があります。冷房も効いていますので、涼みながら中華民国の時代のお勉強をしてみましょう。高校の時代だったでしょうか、孫文の辛亥革命というのを勉強しましたが、辛亥革命は何故起こったのでしょうか。
 朝9時からのオープンですが、8時50分でも既にゲートは開いていました。入場料は20元でした。(2010年8月現在)

上海(旧フランス租界):孫中山(孫文)記念館の建物

 孫中山記念館の建物です。
 この孫中山記念館では、孫文の一生について資料が展示されています。改めて孫文の偉大さが分かります。租界巡りの途中でぜひ立ち寄りたいスポットの一つです。

上海:孫中山記念館の孫中山(孫文)像

 孫中山記念館の前にある孫文の像です。記念館の中は写真撮影が禁じられていて、しかも沢山の係員が建物内で見張っていますので、写真では紹介できません。
 展示物はもちろん中国語で紹介されていますが、事前に中華民国建国前夜の動きなどもネットなどでチェックしたうえで、ここを見学するとより理解ができて興味が沸くと思います。
 記念館では、毛沢東の言葉「中国国民の一部を除いた全員が孫文の革命の継承者である」が紹介されていて、孫文が今の時代でも中国の人々の尊敬を集めているのも、こうした指導者たちの評価によるものだということが分かります。
三民主義のポスター(上海、孫中山記念館)
 
   例えば、高校の世界史の授業で習った「三民主義」という孫文が唱えた中国革命の基本理論も、今ではすっかり忘れていましたが、改めてこの記念館で当時の説明ビラを見てみると、なるほど孫文の考えていた理想の中国というものが分かります。当時のビラの内容について簡単に触れますと、
 1.民族主義 中華民族による国家の建設と中華民族団結
        (満州民族である清王朝の打倒と民族の独立)
 2.民主主義 選挙権、議決権、民権、罷免権、創制権を人民へ付与
 3.民生主義 衣食住の充足、交通の整備による近代化と生活レベルの向上
といったことが説明されていて、こうした国家の建設が中国の国際的地位や国内的地位の平等化を可能にするのだということも書かれていました。
 当時の中国の状況、すなわち、満州民族である清の時代が長く続き、また、アヘン戦争後は欧米列国による干渉が続いていた結果、中華人民の尊厳が損なわれるとともに人民の生活には大変厳しいものがあった状況を考えれば、この孫文の三民主義の理想がよく分かります。

 
 この絵は1922年にこの公館の庭で開催された第一回国民党会議の様子を描いたものです。。この会議には共産党の幹部を含め53人が参加したそうです。大きな椅子に座っているのが孫文です。

孫中山の公館と故居(上海)
 
 その公館の庭からの眺めです。この芝生の上で第一回国民党会議が開催されたわけです。左の建物が公館で、右の小さな建物が孫中山故居です。
 孫中山故居も見学可能ですが、建物内での写真撮影は不可です。孫文は1918年〜1924年をこの邸宅で宋慶齢夫人と過ごしています。この頃の出来事を時系列的に整理すると、次のようになります。
  1911年 辛亥革命
  1912年 中華民国南京に臨時政府樹立
  1915年 日本の対華21か条要求
  1919年 五四運動(反日、反帝国主義を掲げる大衆運動)
  1922年 第二次護法運動で陳炯明が離反(孫文、広州を追われる。)
  1924年 北京でクーデター(孫文、北京へ北上)
  1925年 孫文、北京で生涯を閉じる

フランス租界にある孫中山故居
 
 ここで、補足しなければならないのは、実は1912年1月1日に建国された中華民国臨時政府で孫文が臨時大総統になっていますが、その後、清の時代の軍閥、袁世凱に総統の座を譲っていて、その後、孫文は袁世凱との対立もあり、日本に約3年間亡命しているということです。
 すなわち、1918年〜1924年という時代は、孫文が既に中華民国を建国し、さらに、清の時代の軍閥、袁世凱も病死したものの、まだ中華民国が中国全土を統一したという状況にはなく、孫文の革命がまさに結実しようとしている時代だったことが分かります。
 上の写真は庭から見た公館です。フランス租界の建物らしく洒落てはいます。が、そんなに広い建物ではないです。


 庭に面した一階のピロティです。建物内は写真撮影不可ですが、ここだけは撮影が許されています。

 
上海:孫中山(孫文)記念館の庭
 
 上の写真は、孫中山故居の庭です。上の写真のピロティ前から撮影したものです。
 歴史の話を別の観点で見ると、孫文が宋慶齢と結婚したのは1915年で、日本で結婚をしています。宋慶齢は当時の大資産家で孫文を支援していた宋耀如の次女で、宋慶齢は結婚する前年の1914年から孫文の秘書をしていました。結婚したのは、孫文48歳、宋慶齢22歳の時です。26歳年下の新妻が比較的ゆっくりと新婚の生活を送ったのがこの上海の孫中山故居なのです。孫文はこの故居から北京に移った翌年に58歳でその生涯を閉じたのですが、孫文の死後も宋慶齢夫人は1937年までこの邸宅に住んでいたのも、孫文との思い出が、短いとは言えこの上海での生活に凝縮されていたからではないでしょうか。
 なお、宋慶齢の妹の宋美齢は、孫文の死後国民党を引き継いだ蒋介石です。また、兄弟である宋子文は中華民国の有力政治家でした。まさに当時の華麗なる一族だったと言えます。かつての宋子文の邸宅が、衡山路の人気ナイトクラブ、サーシャス(Sasha's)になっています。

【中国聯通香港】中国、香港、マカオと台湾で使える
3Gデータ プリペイド SIMカード「跨境王」


 私は、香港、台北、深?や上海に仕事や旅行でたびたび行くことがあります。 そんな時に私が使っているのが「跨境王」というSIMカードです。私のように日本で買ったiPhoneをSIMロック解除していれば、SIMカードを入れ替えるだけで日本の携帯を現地でもすぐ使えるようになります。
 旅行期間中だけ使っても価格的に損はないですし、頻繁に行く人はチャージすればいつまでも同じ番号で携帯を使うことができます。SIMカードの入れ替えは簡単ですし、チャージの方法などは同梱されている日本語説明書に丁寧に書いてあります。
 中国聯通香港(チャイナユニコム香港)のSIMカードですから、中国にいるときもフェイスブック、TwitterやGoogleを利用できることも、このSIMカードの長所です。


周公館

上海のフランス租界、思南路のスターバックス

 孫中山記念館を出て、思南路をさらに南下すると、周公館があります。その途中にあるスターバックス。フランス租界の雰囲気にマッチしていて、思わず入りたくなってしまいます。

 
上海、周公館(旧周恩来事務所)

 周公館です。周恩来の上海事務所ということですが、周恩来がここを事務所としていたのは1945年から46年ですので、中華人民共和国の建国(1949年)の前です。実は中国共産党が上海事務所として使っていた建物ですが、当時は共産党の名前を出せなかったため周恩来の個人事務所として登記されていました。その当時の建物、内装がそのまま保存・展示されています。ここは内部の撮影も可能です。
 周公館は当時の共産党事務所ですから、3階建ての建物のなかに、応接室、周恩来の執務室兼寝室、事務員の事務所兼寝室に加え、地方から来た共産党員のためのドミトリーもあります。

周恩来の執務室兼寝室(上海、周公館)
 
 1階には応接室と周恩来の事務室兼寝室があります。上の写真は周恩来の事務室兼寝室です。20畳位の広さですし、備品等も質素です。

上海、周公館の応接室
 
 同じく1階にある客間です。この部屋で周恩来は来客対応をしていたようです。

 
上海、周公館の特務員見張り所
 
 ただ、1階に寝室があるのは少し物騒ではないかと思っていましたら、周恩来の事務室兼寝室の横に、特務員見張り所というスペースがあって、常時ここで警備している人がいたようです。24時間ここで見張りをして、いつでも周恩来を連れて逃げられるようにしていたようです。

上海、周公館のゲスト用ドミトリー
 
 二階と三階は事務員の事務所兼寝室がいくつかあって、ゲスト用の寝室も男女別に用意されていました。上の写真は男性ゲスト用の寝室です。
 ここは無料で見学できます。前回来たときは私以外に見学者がいなかったのですが、今回は見学者が沢山いました。周恩来と言えば、1949年の中華人民共和国の建国から1976年に死去するまで首相を続けていた大変な建国の功労者ですから、見学者が多いスポットなのかも知れません。

上海:建国中路から田子坊への入口

 周公館から思南路をさらに南下すると建国中路と交差しますので、それを右折し建国中路を西に向かいます。もうその左手は、上海のSOHOと言われる田子坊(泰康路)のエリアです。上の写真にあるような路地を入っていくと、もう田子坊です。
 周公館から歩いて5分くらいです。


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