アジア写真帳>アジア写真帳(中国)>アジア写真帳(周荘)>周荘古鎮への行き方
最近、日本でも人気が出てきた中国の江南水郷。水郷古鎮とも言われるこれらの街は、要は、水郷の古い町です。元代や明代の頃の街並みがそのまま残っている歴史を感じさせる街です。中国の江南地域とは、上海や蘇州、杭州一帯を指しますが、もともとは長江(揚子江)の南を意味していたもので、この地域はかつては中国の中の僻地で、中国の中心はむしろ北にありました。その中国の中心である北と僻地である江南地域を結んだのが京杭運河で、京杭運河が交通・物流の大動脈として機能していた時代に、大きく栄えた水郷沿いの街は少なくありません。 その代表ともいえるのが、この周荘であり、また西塘、烏鎮といった江南水郷です。なかでも、この周荘は「江南第一の水郷」との評判がある人気の水郷古鎮です。 |
「こんなに古い街がよく保存されていますね」という感想をよく聞きますが、「それは、かつて水路で発達した街で陸路では不便だからですよ。」と答えています。保存されたのではなく、時代の変化に取り残されたという方が正しいのではないでしょうか。 だからこそ、江南の水郷古鎮は行きづらい場所にあって、高いツアーに参加するなどしないと、言葉のできない日本人には行きにくいという印象を持たれています。 でも、本当にそうでしょうか。上海からなら一時間に1本程度、蘇州からなら30分に1本ずつくらいの頻度で公共バスが走っています。それらのバスは周荘古鎮の中までは入れませんが、入口までは連れて行ってくれます。しかも、バスの終点で降りればよいのですから、乗り越したりどこを走っているのか心配したりする必要もありません。 |
ですから、周荘古鎮へ行く時にはぜひ公共のバスで行ってほしいと私は思っています。 何故かと言いますと、水郷古鎮の素晴らしさは朝にあると私は思っているからです。これは、周荘に限らず、西塘や烏鎮、同里などの水郷古鎮でも同じです。上の写真は周荘古鎮の朝の風景ですが、その上の写真とほぼ同じ場所を写したものです。 昼間は観光客であふれかえっている水郷古鎮も朝は人もまばらです。朝もやの中の水郷古鎮は本当に素晴らしいものです。それだけに本当の水郷古鎮の雰囲気を味わえるのは朝なのです。水郷古鎮の中や隣接した新市街にあるホテルに泊まって、自分のペースで自分だけの水郷古鎮を楽しもうとすれば、公共のバスで行くしかないのです。 ホテルはインターネットを使えば日本からでも予約できますが、中国に慣れない方は、安全も考慮して三ツ星以上のホテルを予約されることをおすすめします。三ツ星以上のホテルでも言葉は通じないでしょうし、不便さは感じるでしょうが、それ以上の余りある感動を水郷古鎮は与えてくれると思います。 |
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さて、上海や蘇州からのバスは、周荘の新市街に着きます。上の写真は周荘の新市街です。因みに、周荘までは、上海から100km強で25元、蘇州からは80q強で17元の距離と乗車料金(2010年5月現在)です。 蘇州からですと、汽車北站から古鎮のある?直や錦渓などを経由して行くのですが、40分くらいで終点の昆山周荘ターミナルに着きます。?直を過ぎた辺りからバスは湖に近いかつての湿地帯と思われるエリアを走っていきます。池が多そうなゴルフ場や新築の戸建て住宅が並び、いかにも最近開発されたエリアであることが分かります。周荘はその先にあるわけですから、開発から取り残されたエリアだと言うことができます。 周荘の新市街地は、いわゆる中国の田舎町で特に見るべきものはないですが、上海のような大都市から来ると、そのギャップも楽しいものです。道は分かりやすいですけど方向表示が殆どないので、地元の人に「古鎮」と書いて右や左を指差すと、地元の人も手振りで方向を教えてくれるはずです。これが中国の普通の町なんだということで、庶民とのふれあいを楽しみながらゆっくり20分くらい歩くと周荘古鎮に着きます。 |
途中には、地元の人たちのための商店が軒を連ねます。上の写真は、途中にあったレストラン。ここは、中国各地からの旅行者もターゲットにしている比較的高級な店です。この上の写真の三叉路を古鎮に向かって右折したところにあります。 周荘では、元から明の時代を生きた沈万三という政商が有名で、中国の人気ドラマにもなった英雄です。一代で巨額の富を築いた沈万三の名前を冠した万三蹄という料理が周荘名物で、「周荘に来て万三蹄を食べなければ周荘に来たことにならない」と言われているほどです。 万三蹄は周荘のどこででも食べられる料理ですが、私はこのレストランで万三蹄を食べました。 |
先ほどの三叉路を左側に向かって進んでいくと、軽い上り坂になります。 古鎮側に渡る周荘大橋への上り坂です。前方に周荘大橋が見えます。 |
バスターミナルから周荘古鎮までは歩いて20分くらいですが、陽射しの強い日や雨の日ですとか、荷物が大きい場合などには三輪車(自転車タクシー)を使うことをおすすめします。ターミナルや古鎮には制服を着た運転手が待機していて声をかけてきますから、行先を言えば(或いは書けば)連れて行ってくれます。 |
自転車タクシーですから周荘大橋への上り坂はちょっと苦しくなります。運転手は坂の途中で下りて、このように自転車を引っ張るようになります。特に、周荘古鎮側から戻る場合の坂道がきついようです。 |
周荘大橋です。屋根つきの歩道は陽射しの強い日には助かります。 周荘大橋からは、湖の視界が一気に広がり、湖沼の多い江南地域らしい風景を楽しむことができます。 |
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周荘大橋を渡ってすぐのところにある私が泊まった三ツ星ホテル、雲海度假村(Yunhai Resort)です。周荘では最も近代的なホテルで、アメリカのカーター元大統領や韓国の盧泰愚元大統領も宿泊したホテルです。ホテル棟の客室タイプと一軒家のビラタイプがあります。客室タイプだと、季節にもよりますが、インターネットで3,000円程度で宿泊できます。 レイクビューの客室タイプの部屋ですと、部屋の窓をあけると眼前に湖が広がり、周荘に来ている実感が味わえます。周荘では最高級ホテルなのですが、設備は日本のビジネスホテルクラスですし、フロントも英語が通じません。また、ホテル等への出入りを誰もチェックしていなかったり、セキュリティボックスがなかったりしていて、セキュリティの面でも多少の注意が必要です。が、フロントをはじめとしてスタッフの対応が良く、快適な滞在を楽しめました。 |
雲海度假村(Yunhai Resort)内にあるレストランで、背景一面に湖が広がります。このレストランの建物はいわゆる画舫(がぼう=屋形船)をイメージした建物で、不繋舟とか石舫とか呼ばれることもあります。蘇州の拙政園にある香洲という建物と同じ構造です。 画舫というのは、秦の時代に、秦の始皇帝の政治が厳格すぎたため、これから逃れようとする山東の学者、徐福が始皇帝に取り入り仙人探し、不老不死の薬探しのため、大きな船を建造させ、秦の国から逃げたという話に起因します。このように画舫は不老不死の薬を探す旅に出かける船を意味していて、中国人から見ると縁起の良い建物です。 |
雲海度假村(Yunhai Resort)が建っている辺りから5分も歩かないうちに、周荘(周庄)の碑坊になりますが、この碑坊は新しい碑坊で、昔からの周荘古鎮の碑坊はここからもう少し先になります。周荘市街地の入口に立っている碑坊という理解で良いと思います。 |
上の碑坊を過ぎると商店が多くなり、観光客向けの店も増えます。「万三」の名を冠した土産物屋が沢山現れます。 |
なかでも、周庄(周荘)古鎮での名物料理といえば、先ほども紹介した写真の万三蹄です。周庄(周荘)古鎮のあちこちで売られています。豚肉の脚の醤油煮込みです。見た目ほど脂っこくなく、私は好きな料理です。万三蹄の謂れを含め、詳しいことはこちらをご覧ください。 |
ここも万三蹄の店ですね。背後にある五層の塔(全福塔)が古鎮入口の目印です。この塔に登れば周荘古鎮が一望できるのでしょうが、誰も上っていないところを見ると、立入り禁止になっているのでしょう。 |
周荘古鎮の碑坊です。この碑坊の下が古鎮の入口です。係員が立っているところで古鎮への入場券を見せないと、この先には入場できません。全福塔もここから見るのが最も見栄えが良いような気がします。 ここから先のいわゆる周荘古鎮の様子はこちらをご覧ください。 |
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中国・江南地方の34の古鎮を紹介しています。 西塘、烏鎮、朱家角、同里といったメジャーな水郷古鎮は勿論のこと、諸葛孔明の子孫が住む諸葛八卦村、孫権の子孫が住む龍門といった三国志ファンなら見逃せない村や、まだ中国人にもあまり知られていない山村など、幅広く紹介しています。江南地方の古鎮を観光したい場合、現時点では、最も参考になる書籍です。 但し、中国の人が実際に現地に行って記載したものを日本語に翻訳しているので、交通の利便性についての感覚や、食事やホテル等への評価などは、日本人の感覚と多少異なりますので、ご自分の旅行の参考にするに当たっては、そのあたりを十分に勘案した方が良いと思います。 |