長廊 |
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清代の末期に権勢を振るった西太后が、海軍の軍費を流用してまでして再建した頤和園。その歴史や頣和園全体の4分の3を占める昆明湖については、「頤和園の昆明湖」のページで紹介していますが、このページでは頣和園のハイライトといわれる仏香閣や長廊を紹介します。 写真は、杭州西湖を模して造られた昆明湖に架かる十七孔橋です。十七孔橋自体は西湖の白堤に架かる断橋を模したものだと思われます。 なお、頤和園の主要部分の地図がこちらにありますので、適宜参照しながらお読みください。 |
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長廊は 頤和園の万寿山の南の麓に作られた回廊で、中国古典庭園の中では最も長い回廊(728m)です。万寿山の南の麓に点在する建物やあずまやなどを結んでいて、その長さもさることながら、その色の鮮やかさや描かれている絵の精緻さなどは、さすがに贅を尽くしたものです。また、長廊から見る昆明湖の景色も素晴らしいものがあります。もともとあった長廊の大部分は、第二次アヘン戦争(1860年)で英仏連合軍に焼き払われましたので、現存しているのは光緒帝の時代に西太后の意を汲んで建造されたものです。 |
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回廊に描かれている絵は。江南地域の風景画であったり、三国志や水滸伝といった戦国歴史画であったり、花屋鶏など自然を描いた絵であったりします。どれも印象深いのですが、風雨にさらされて少し鮮やかさには欠けています。むしろ「頤和園の昆明湖」の中で紹介している文昌閣の回廊の方が、比較的最近修復されている分、色鮮やかで、長廊の頤和園再建当時の姿を示してくれているのではないでしょうか。 |
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長廊の途中には4つの東屋があって、それぞれ春夏秋冬をあらわしています。写真は寄瀾亭といって夏をモチーフとして絵が描かれている東屋の天井です。乾隆帝にしても西太后にしても、こうした東屋で休みながら、昆明湖を眺めやり、江南地方に思いを致したのでしょう。 |
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「頤和園の昆明湖」の中で紹介している空窓のある回廊です。この窓は通風機能も果たしながら、昆明湖の秀逸な景色を眺める場所なのです。 |
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仏香閣 |
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さて、これからいよいよ、頤和園観光のハイライトである仏香閣に行くのですが、その前に、仏香閣の入口である排雲殿の手前にある碑楼を紹介しましょう。排雲碑楼といわれるこの碑楼は昆明湖沿いに建てられていて、この排雲碑楼と排雲殿、仏香閣は、真南向きにかつ平行て建てられています。この排雲碑楼の位置からは、一直線上に排雲殿と仏香閣を見ることができます。 観光客の多い頤和園の中でも最も混雑するのがこの辺りです。 |
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排雲門です。屋根の上に仏香閣が少しだけ見えます。 排雲門は、長廊の中央に位置しています。門の上には「幾久しく長寿を保たれますように」額があります。 |
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排雲門を入り、排雲殿越しに見る仏香閣です。排雲殿は、西太后が自らの誕生日を盛大に祝った場所として知られています。頤和園の中でもとりわけ贅を尽くした建築物です。 ところで、仏香閣が建つ山を万寿山と呼びますが、これは乾隆帝が母の還暦祝いに頤和園の原型を建造したときに名づけたもので、既に高齢となっていた西太后にとっても嬉しい名前だったでしょう。排雲殿はその万寿山の麓に建てられています。 |
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排雲殿にある西太后の部屋です。沢山いる観光客の後ろから見ただけですので、家具等の見事さ加減というのは私も良く分かりませんが、きっと大変な家具なんでしょうね。 夏は暑い日の多い北京にあって、頣和園は避暑地として建てられたものですが、西太后が頤和園で執務をとった時は、この部屋を使用していたといわれています。 |
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排雲殿の横から、仏香閣に登っていきます。西太后は籠に乗って登ったといわれています。階段がありますから登りやすいのですが、夏の鋭い日差しの中では、やはり一汗かかされます。 |
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仏香閣まで来ると、一面に昆明湖が見渡せます。手前の建物群は、手前から排雲殿、排雲門、そして昆明湖畔に排雲碑楼が見えます。排雲から東西に伸びる黒い屋根が長廊です。遠くに南湖島と十七孔橋も見えます。 この眺望は、ちょうど杭州の西湖を雷峰塔とか西冷印社とかから眺めたものに、特に湖を見渡した広さのイメージや雰囲気がよく似ています。西太后は頤和園を再建するにあたって、杭州や蘇州など江南地方に絵師を派遣してイメージを描かせたなんて逸話も、ちょっと信じてみたくなる気分です。 頤和園の主要部分の地図がこちらにありますので、参考にしてください。 この仏香閣からの眺めは、さすがに素晴らしいものがあります。頤和園に来たら、必ず登って欲しいものです。 |
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万寿山にそびえ立つ仏香閣です。「仏陀が香ばしい」というその名前は、仏教の仏陀に対する賛美から源を発していると言われています。八角三層の建物は高さ20メートル巨大な石を足場にして建てられています。 仏香閣は乾隆帝の時代に建てられ、西太后の時代に再建されたものですが、構造は繁雑、装飾は豪華で、そこから清王朝の権勢の強さを感じられます。まさに頤和園の象徴ともいえる建物です。 |
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万寿山の山頂には、仏香閣と並んで、知恵海というチベット仏教式の建物も建てられています。知恵海は木造建物ではなくレンガ造りの建物で、梁が全くないため、無梁殿とも言われています。黄色と緑を中心にした配色や屋根のデザインなどがチベット仏教寺院らしい雰囲気を醸し出しています。 |
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蘇州街 |
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上の写真は蘇州街です。乾隆帝が江南での買い物ごっこをするために、わざわざ作った街だそうです。乾隆帝がこの街に来た時には、宦官や宮女が商人を演じたそうです。当時は食堂、茶楼、質屋、漢方薬屋、染物屋などの店が造られていたそうですが、今はみやげ物店ばかりです。 正直申し上げて、頤和園は全体として創建された頃の姿を残していて、乾隆帝や西太后の権力の大きさをまさに実感させてくれる見所満載の庭園ですが、この蘇州街に限って言えば単なるみやげ物街であって、乾隆帝が遊びに来ていた頃の雰囲気は全くないと思います。 地下鉄の駅からは近いかもしれないですけど、私はもう二度と蘇州街には行かないと思います。 |
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蘇州街のみやげ物店です。中秋月餅の文字が見えますが、お菓子屋さんというか饅頭屋さんというか、そんな店をイメージしたものでしょう。 水路に沿って店舗があるというと、蘇州では山塘街なのですが、当時はこんなに洗練されているはずがありません。乾隆帝の頃の江南水郷の商店なら、むしろ、西塘や周荘といった水郷古鎮が当時の面影を残しています。西塘や周荘の商店はもっと地味ですから、蘇州街も同様にもっと地味に作らないと真実味がないですね。これでは単なるテーマパークです。 |
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みやげ物屋です。どこにでもある土産物屋ですので、ここでないと買えないといった商品は売っていません。まあ、お好きな方はどうぞって感じですけど、この蘇州街では中国人の観光客が少なくて、外国人観光客が寄るだけのようです。頤和園の中の外国人向けみやげ物屋通りというべきですね。 |
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蘇州街で見かけた宮女役の女の子たちです。女の子たちはみんな可愛いのですが、こんな写真を見ると、やはり質の悪いテーマパークとでも言うべきでしょうか。 最後に悪口ばかり書いてしまいましたが、頤和園自体は、私は乾隆帝や西太后の権勢が十二分に感じられる見事な庭園だと思いますし、二人の江南地方への思いが強く出ている庭園だとも思います。また、近いうちにゆっくりと堪能したいと思います。 なお、頤和園の建造の経緯や昆明湖については「頣和園の昆明湖」をご覧ください。また、杭州や蘇州といった江南地方のことについて興味を持たれた方は、この姉妹ページであるアジア写真帳(杭州)や蘇州古典園林の魅力も参照してください。 |
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アジア写真帳(北京) |
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【中国聯通香港】中国、香港、マカオと台湾で使える
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私は、香港、台北、深?や上海に仕事や旅行でたびたび行くことがあります。 そんな時に私が使っているのが「跨境王」というSIMカードです。私のように日本で買ったiPhoneをSIMロック解除していれば、SIMカードを入れ替えるだけで日本の携帯を現地でもすぐ使えるようになります。 旅行期間中だけ使っても価格的に損はないですし、頻繁に行く人はチャージすればいつまでも同じ番号で携帯を使うことができます。SIMカードの入れ替えは簡単ですし、チャージの方法などは同梱されている日本語説明書に丁寧に書いてあります。 中国聯通香港(チャイナユニコム香港)のSIMカードですから、中国にいるときもフェイスブック、TwitterやGoogleを利用できることも、このSIMカードの長所です。 |