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諸葛八卦村−丞相祠堂

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 丞相祠堂は、諸葛八卦村における諸葛一族の祖廟です。明の時代の万歴年間(万歴元年は1572年です。)に建てられたとされています。総面積は1,900u、中庭があり、建物はロの字型に配置されています。
 写真は、正門から祠堂の中を見たところです。


 この祠堂を建設したときに、風水上の理由から、次のような対応をしているとの話が伝承されています。一つは、もともとは正門だけ作る予定だったが、正門の前に、殺気みなぎる王さんという姓の住居が対面にあり、それを避けるため、塀と池を掘ったとのことです。上の写真右の塀がその塀で、塀の向こうには池があります。
 もう一つは、正面に見える門と、反対側にもう一つ同じくらいの門がありますが、正面に見える門は閉じたままです。
 したかって、丞相祠堂に入るためには、池の横を抜けて小さな門をくぐり正門に出るというルートを辿らなくてはなりません。
 しかし、この諸葛村は戦火にもあわずに、600年以上にわたり、平和を維持してきたのですから、こうした風水の効果もあるのかも知れません。



 正門を入ると、この丞相祠堂の規模の大きさに驚かされます。この中庭に建てられている建物の幅が16.6mで、祠堂としては、極めて大きいものになると思います。それだけ、諸葛孔明が子孫に深く尊敬されていることを表しています。
 丞相祠堂は明代の永楽年間(15世紀はじめ)に建立されていますが、明の嘉靖年間(16世紀前半)に改築され、現在の広さとなったようです。この明の嘉靖年間が諸葛村が最も隆盛を極めた時代といわれていて、医薬の世界で富を築いた一族の寄進により、このような豪華な祠堂が建設されたわけです。


 しっかりした構造の建物で、さすがは400年以上の歴史を有する祠堂です。内装も、質実で趣味の良いものになっています。
 「名垂宇宙」の字が掲げられていますが、意味としては、諸葛亮孔明の高名は天地万物にまで響き渡っているということで、先祖を深く尊敬していることを表現しています。


 より広角なカメラで写してみました。
 人と比べると、この祠堂の大きさがよく分かると思います。祖先を敬う気持ちの大きさと歴史を感じさせる立派な祠堂だと思いませんか。



 豪華といえば、柱の梁の部分に彫られた木彫りを紹介しないわけにはいきません。上から3つ目の写真を見ると、この木彫りの大きさが分かるかと思いますが、彫られている図柄も精緻で大変美しいものです。


 しかも、その木彫りが一つずつ異なっており、特にこの木彫りなどは大変素晴らしいものです。当時、これだけの広さ、そして、豪華さを持つ祠堂を建設することができたのも、当時の諸葛一族の富によるものだと思います。また、その富が、誡子書の中で、諸葛孔明によって示された諸葛家の家訓によるものが大きいと評価されたからこそ、このような立派な祠堂が建てられたのだと思います。


 中庭の後方は、急に地形が高くなっていて、そこに享堂、鐘つき堂と鼓楼も建設されています。享堂の中には、諸葛孔明の彫像もあり、この日、遠足で来ていたと思われる中国の中学生の一団が、彫像をバックに、次々と写真を撮りあっていました。


 でも、諸葛八卦村の場合は、多少混雑していても少しそのまま待っていれば必ずすいてきます。それが、人気が高いとは言え、交通の便が悪い諸葛八卦村の特徴です。
 諸葛孔明の像と二人だけになると、何だか諸葛孔明が私に話しかけてきているような、そんな錯覚にも陥ります。



 中庭を囲む廊下には、諸葛一族の彫像が並んでいます。
 写真は、孔明から数えて14代目の宗主、諸葛?です。西暦952年、諸葛?が四川省から、今の諸葛八卦村近くにある寿昌県令として赴任し、以後、彼の子孫は今の浙江省に住み続けています。諸葛八卦村の諸葛氏は「浙江諸葛氏」と言われますが、浙江諸葛氏は、この諸葛?を始祖としています。そうした意味で、諸葛八卦村の産みの親とも言うべき人かもしれません。


 実際に、諸葛八卦村を設計し、一族とともに移転したのは、西暦1280年、27代宗主の諸葛大獅の時代です。この諸葛大獅の設計のまま、以降、700年もの間、姿・形を大きく変えていないというのは、中国では殆どありえないことだといわれています。
 諸葛大獅は建築の専門知識に明るく、子孫の安全と繁栄を願って、今の諸葛八卦村の土地を買い取り、村の構造(都市計画)を綿密に定めたうえで、諸葛一族の村づくりを開始しました。安全のために、「隠蔽性と防衛性を兼ねた設計」を行うとともに、繁栄のために、「陰陽魚太極図の形をした鐘池を村の中心に据える」など、配置を工夫したわけです。
 諸葛大獅の意図通り、子孫は安全と繁栄を享受しており、諸葛八卦村が当初の設計から何ら変更されていない理由は、こんなところにあるのだと思います。


 丞相祠堂の脇にある蓮畑。
 台風が接近していてね大雨が降る不安定な天気でしたが、雨がちょうど小止みになったようです。


 時期は7月下旬。ちょうど蓮の花が美しく咲き誇る時期の、諸葛八卦村への旅でした。


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誡子書がある大公堂

村の中心、鍾池とその周辺

古商業街

漢方薬の天一堂
諸葛八卦村の街並み
民居(四十八代宗主との対面)
諸葛八卦村の食堂で昼食


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