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諸葛八卦村−鍾池とその周辺

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 鍾池は、村の構造的には、村の中心に位置しています。鍾池は太極陰陽図のような形をしており、「陰」の部分が池になっています。この鍾池から外側8方向に小道が通じていて、この構造が内側の八卦をなしています。
 村の道が集中しているとはいえ、ここが村の中心であるということはありません。あくまでも構造上の中心であり、商業や行政の中心は別のところにあります。外敵が入ってきたら、「まず、ここにおびき寄せ、取り囲んで攻め込む。」そして、「敵をある方向に逃がすが、道路は迷路のように入り組んでいるので、敵は行き止まりに追い込まれる」という設計方針だったのでしょうか。こうした設計方針・工夫こそ、外敵から600年もの間、村を守ってきたのではないでしょうか。思わず、そんなことを考えさせられてしまう鍾池です。


 諸葛村には、この鍾池のほかにも、上塘をはじめとして、いくつもの池がありますが、それらの池と同様に、鍾池は、村の人々が洗濯をしたり食器を洗ったりするための生活用水源です。私が諸葛を訪問した日は、あいにく、台風が諸葛村の近辺を通り抜けそうな日で,朝から大雨でしたが、若干雨脚が弱まると、食器や野菜を洗うために、人々が鍾池に現れてきます。
 天気の良い日であれば、おそらくは、今、女性が出てきている太極陰陽図の「陽」の部分(土の部分)に村人が集まり、賑やかに会話をしながら洗物をしているのではないでしょうか。



 因みに、鐘池は陰陽太極図の形をしています。陰陽魚太極図とも言われることがありますが、実は「陰陽魚太極図」という方が、意味するところを理解しやすいと思います。
 少し、この陰陽魚太極図について説明しましょう。白い部分と黒い部分を見つめてください。よくよく見ると魚のように見えないでしょうか。目(黒の中の白い○。城の中の黒い○)のある方が頭です。
 魚の尾から頭に向かって幅が広がっているのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子を表しているとされています。森羅万象が陽(白い部分)と陰(黒い部分)の要素によって成り立っているという考え方で、陰が極まれば陽に変じ、陽が極まれば陰に変じるということを意味しています。太極図は、これが永遠に繰り返されることを表しています。
 すなわち、この村を設計した諸葛大獅としては、陰陽魚太極図の形をした鐘池を村の中心に据えることにより、陰と陽を繰り返し、言い換えれば、陰と陽を互いに補い合わせて、村の運気を上昇させ、村を発展させたいという思いがあったのではないでしょうか。



 そして、約1年後、ある晴れた日に、再度、諸葛八卦村を訪ねました。
 晴れた日の鐘池周辺です。


 鐘池の辺りは村の中でも日当たりが良い地域なので、作物が干してあったり、靴が干してあったりしていて、生活感も感じられます。


 大公堂を鐘池越しに見たところです。鍾池の周りに来ると、大公堂の「武」「忠」という字が目立ちます。鍾池の周りには、大公堂以外、住宅しか建っていないからです。大公堂の左側にバラソル見たいな物が立っていますが、あのあたりに「民居」と呼ばれる場所があって、家の構造を見れるようになっています。また、その民居の中では、第48代の宗主である諸葛高嵩氏が自筆の書や扇子などを販売しています。
 
 さて、大公堂の裏側は、すぐ低い山になっています。この地形状の起伏が、諸葛八卦村を迷路のように仕立てている一つの要素です。
 でも、諸葛八卦村を迷路にしているもう一つの要素、それは、諸葛大獅の憎いばかりのトリックです。これから、そのトリックについて説明します。


 鐘池では、地元の方々が、洗濯をしたり、食器を洗ったりしています。また、周りでは干し物があったりして、生活感が感じられます。
 ところで、池の向こう側に池の中に塀のような物が立っているのが見えますが、あれは何でしょうか。



 何と九宮八卦陣の図が立っているではありませんか?
 これは、前回諸葛八卦村に来たときは、鐘池の周りに立っているのに気づきませんでした。
 この衝立のような九宮八卦陣の図は、外敵を欺くための諸葛八卦村の仕掛けの一つではないでしょうか。


 上の写真は、実は、前回、台風の日に初めて諸葛八卦村に来たときの写真です。鐘池を目指して歩いていて、そろそろ鐘池が見えるはずだと思っていたのに、突き当りで行き止まりになっていると勘違いさせられて、首をかしげながら戻ったのが、まさにここです。
 外敵が諸葛八卦村に入り込んできて、追い詰められてこの道に来たときに、行き止まりだったと思っていたところから、突然、大勢の兵士が飛びかかってきて不意を付かれるのがこの場所だったのです。


 この写真は、2回目の訪問のときに撮影したものですが、これでもこの道は行き止まりに見えますよね。諸葛の村の中の道というのは、幅が狭くて視野が限られますから、こういった幅の狭い衝立を立てるだけで、村の中を迷路のようにできるのです。


 のどかな鐘池の風景です。靴がなければ、数百年前の中国の村にタイムスリップしたような気がします。
 諸葛八卦村が、6百数十年の間、外敵から住民を守り、村の姿をそのままとどめていることができているのも、村を設計した諸葛大獅のこうした工夫があったのではないかと、改めて感じる場面です。


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 但し、中国の人が実際に現地に行って記載したものを日本語に翻訳しているので、交通の利便性についての感覚や、食事やホテル等への評価などは、日本人の感覚と多少異なりますので、そのあたりを十分に勘案した方が良いと思います。