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諸葛八卦村−諸葛の街並み |
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諸葛八卦村には、明・清の時代の建物が、完璧な姿で200以上も残っています。明や清の時代の建物がこれだけの数で残っている村は、中国にもそれほど多くはないと思います。 建物は、いわゆる徽式(現在の安徽省あたりで発展した様式)の建物で、白壁と灰色の瓦、小さい窓、そして、高い塀が特長です。諸葛八卦村に入ると、突然、一面にこの徽式建物が広がり、タイムスリップしたような感覚に襲われます。 村の敷地自体がそれほど広いものではないので、建物は折り重なるように建てられています。 |
この村の特徴は、坂と迷路。とにかく道が分かりづらい。村全体が九宮八卦の陣のように構築されているなどと聞くと、中心から放射状の道路があって、いかにも整然と放射状の道路を繋ぐ路地があるように感じますが、実はとんでもなく、迷路仕立てになっています。これが、この村の設計者である諸葛大獅の「村の防衛性」を高めるための意図です。 |
坂、坂、そして、路地……。このあたりを歩いていた頃は、完全に方向を見失っていて、村の中央の鐘池に出れない状況でした。まさに、諸葛大獅のわなにかかったようなものです。 そこの女の子は、諸葛孔明から数えて何代目の子孫なんでしょうか? ひょっとしたら、私に道を教えようとして立っていたのかも知れませんね。 |
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諸葛の典型的な街並みです。 道幅はこんな広さで、塀が高いので、圧迫感があります。諸葛の名の付いた提灯と、正面の九宮八卦陣の図が、さらに諸葛らしさを演出してくれます。 上の写真は、鐘池を探して歩いていて撮ったものですが、行き止まりのように見えています。後日、再度、諸葛八卦村に来たときに分かったのですが、これこそ、諸葛八卦村が、外敵から村を守ろうとする罠だったのです。 実は、正面は鐘池なのです。このからくりは、鐘池のページで解説します。このページを見れば、諸葛大獅のトリックの一つに出会うことができます。 |
これは、鐘池の近くの住宅ですが、典型的な徽式様式です。白壁、灰色の瓦、小さい窓、高い塀。中国人の書いた本によると、「このあたりの気候は、夏が暑く、冬は寒い。また、雨や曇りの日が多い。そこで、住宅は四方に建物を連ね、中央に小さな庭がある。この構造は、通気性に優れ、厚さ、寒さを防ぐことができる」としています。 |
そして、高い塀や壁は、家が接近して建てられているため、火災の延焼を防ぐことを目的としているようです。ただ、高い塀を直線的に作るのではなく、高さに変化をつけ、波打つように作っているのが、徽式様式の美しさです。 |
高台から諸葛八卦村を見下ろすと、建物が折り重なるように建っています。何となく、まとまりがないようで、実は、塀や壁のラインが縦横に交錯して、やっぱり綺麗だな、なんて感じてしまいます。 しかし、これだけ家が密集していると、さすがに高い塀を作って、火事の時の類焼を避けたいという気持ちになりますね。 |
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この家は白壁に灰色の瓦ということで、色は合わせていますが、新しい家ですから、窓が大きいですね。 奥や右側に見える家とあわせて考えると、この三軒の間に中庭があるのかもしれません。 |
地元のおばさんたちが、何やらお話をしています。こんな風に、古鎮の中でも地元の方は生活しているわけですから、プライバシーの問題などに気をつけながら、古鎮を回りましょう。 |
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