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兵馬俑(西安兵馬俑博物館)

兵馬俑には圧倒される迫力がある

西安の兵馬俑

 兵馬俑は秦の始皇帝陵の周囲に埋められている膨大な数の兵士や馬の人形です。「俑」とは副葬品として遺骸とともに埋葬された人形のことを言います。
 兵馬俑遺跡は西安の秦の始皇帝陵の東側1.5㎞のあたりで発見されました。秦の始皇帝陵の副葬品が坑(穴)に埋められていたのを発見したものです。これまでに発見された三つの合計の広さは2万㎡以上で、すべて異なる顔や姿をした人や馬の俑が約8千体発見されています。また、当時の膨大の数の当時の兵器も同じ場所から発見されています。
 始皇帝陵の副葬品として埋められていたのものには、兵士や軍馬だけでなく軍司令部のミニチュアや、文官や芸人等の俑もあります。そうしたことから、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうとしたものである可能性が高いといわれています。 

 

 兵馬俑遺跡の見どころは何と言っても兵馬俑ですが、他に銅馬車(中国語では「銅車馬」)も必見です。
 秦始皇帝陵博物館は、兵馬俑や銅馬車が陳列されている秦始皇兵馬俑博物館と秦始皇帝陵遺跡公園とに分かれていますが、兵馬俑博物館にある4つの建物のうち、一番大きな兵馬俑が見れるのは1号館、上の写真の建物です。

兵馬俑の圧巻

 体育館のような建物ですが、正確に言えば体育館が5つか6つ、あるいは10くらい入りそうな建物の中に、ずらりと兵士や馬などが整列しています。この隊列は他の坑(穴)で発見された兵馬俑と同じく、東を向いています。これは、当時の最大の外敵が東に存在していたからだと考えることができます。

兵士の俑は顔がすべて異なる

 少し拡大してみると、兵士一人ひとりの顔が異なっていることが分かると思います。それぞれの俑には実在したモデルがいて、実在した兵士を様にして副葬品にしたものと考えられています。軍服の違いは兵士の階級の違いです。

兵馬俑の隊列

 秦の始皇帝以前の時代には王の墓には国を守るため多くの人柱を埋めていたわけですが、秦の始皇帝は生きたまま人柱にするのではなく俑を作ることを予め指示していたということです。合理的な考えで過去からの数々の風習を断ち切った秦の始皇帝らしい英断です。
 

 顔のない兵士の俑もあります。そもそも発掘されていた時に壊れていた俑もたくさんあるわけで、顔や身体を組み合わせて今のような完成された姿にするのには大変な試行錯誤をしたのではないかと想像されます。秦の始皇帝が没したのは紀元前210年です。ということは今から2200年以上前に作られた俑を再現させた努力に敬意を表したいと思います。

 
 上の写真で「8」と言う数字が乗っている台は、戦車の跡です。戦車が置かれていた位置にその土台部分が残っていたものです。戦車については再現されていません。



西安・兵馬俑博物館

 上の写真では、再現された部分と再現されていない部分が隣接しています。これを見ていただくと分かるのですが、もともとは上のようにかなり崩れた状態で発掘されたわけです。この状態から土と俑とを区別しながら俑を掘り出し、また、離れ離れになってしまった部分があればそれらを組み合わせ、俑を再現させているわけです。

修復前の兵馬俑

 上の写真のようにアップで見ると分かりますが、顔がついていない俑は沢山あります。身体と俑を組み合わせるには、それぞれが発掘された位置やバランスなどを見ながら再生させていることになります。

 
 その結果がこうした凛々しい兵士姿になるのです。
 顔の色が兵士によって異なることが上の写真から分かります。もともと俑には色が付けられていたことも最近の研究でわかってきました。秦の始皇帝の軍隊は様々な民族の混成群だったと言われています。兵士の俑の一つひとつにはモデルとなる兵士がいたわけですから、もともと様々な顔色をした兵士俑が並べられていたのです。2200年以上経って発掘された時には原色は消えてしまっていたものの、俑の色には違いが出てしまうのです。


 この兵士俑もいつかは再現されるのでしょう。

 ここで一つアドバイスです。上の方の写真でご案内したとおり、兵馬俑を見学できる建物は相当に大きく、また、見学者は建物の壁沿いに沿って作られている見学ルートしか歩けません。そうすると中の方にある用などは肉眼では大変見づらいという状況になります。俑のサイズは実物大ですので、決して小さくありません。それでも、肉眼では見えづらいのです。
 上で紹介してきた写真も望遠レンズで撮影したものですが、逆に肉眼ではそこまで細かく見ることができません。ですから、望遠鏡か望遠レンズ付きのカメラを持参しないと、兵馬俑の一つひとつを詳細に見ていくことはできません。比較的外側にある兵馬俑については肉眼でも十分に見ることができます。

 
 1号館の奥の方では兵士の隊列の再生が行われています。修理した俑を発見された位置関係から並びを再生させ、ここで隊列を整えたうえで坑の中に入れていくのでしょう。

 
 こうして上の写真を見ると、顔つき、顔の色、背の高さ、肉付き、何一つとっても同じ俑はないのがよく分かります。このスケールの大きい副葬品の遺跡にはとてつもない迫力を感じないわけにはいきません。



発見された時の兵馬俑の様子

兵馬俑発見時

  このように1号館でスケールの大きい兵馬俑の様子を見ると、発見された時はどんなふうだったのだろうと、誰もが想像力を掻き立てられるかと思いますが、この博物館ではそうした発見当時の様子の写真も紹介されています。

 発見時の兵馬俑の写真

  兵馬俑の発見は1974年3月です。井戸を掘っていた農民がたまたま見つけたものです。秦の始皇帝陵の周りには多くの副葬品が埋められているということは、昔の多くの文献で紹介されていたものの、どこに埋められているのかは謎でした。それが突然、井戸を掘っていた農民により発見されたわけです。
 その周辺を発掘してみると、上の写真で紹介されている通り、兵馬の俑が次々と発見されたことから、この一帯での発掘作業が始まったということになります。

兵馬俑で発掘された鎧 

 上は当時発見された鎧や軍服の写真です。 発掘された時にも一部の色が残っていることが分かります。

 
 
 上は発掘されたばかりの兵士の顔です。髪の毛や耳など細部を見ると、かなり繊細に作られた俑であることが分かります。この繊細に彫られた俑が8000体かそれ以上あるのです。何というスケールなのでしょう。
 
 

 リアリティのある顔つきです。 こんなに精巧なものを8000体以上も作るなどと大変な無駄だなどと考える方もいるかもしれません。また、秦の始皇帝と言うと、中国を初めて統一したという偉大な功績を持ちつつも、過酷な法律や刑罰、思想弾圧などマイナスイメージも少なからずあります。一方でこうした俑を副葬品として埋めることで人柱をなくしたわけですから、秦の始皇帝の功績は大きかったと私は考えています。


 兵士の手です。ゴツゴツしているというよりも、指がすらっと伸びた美しい手です。 軍服は随分とゆったり、たっぷりとしている感じがします。


 それでも、こちらの手の方は何かをつかんでいたのか、手を握った様子には力強さが感じられます。 

 兵馬俑で発見された弩(弓)

 当時副葬品として埋められた武器も兵馬俑から数多く発見されています。
 こちらは弓です。正しくは弩(ど)と言います。弩は横倒しにした弓に弦を張り、木製の台座の上に矢を置き、引き金をを引く事によって矢や石などが発射される仕組みです。 

 兵馬俑で発見された弓矢

 上の写真は弩に使われていた矢です。殺傷力がかなりありそうな矢じりです。
 実は私も三国志や呉越戦争が好きで史跡などを訪ね歩いていますが、そうした中国の歴史小説が好きな方には、ここ兵馬俑博物館は見逃せない場所でもあるのです。 



 一言で兵馬俑と言っても様々な兵士がいる

兵馬俑の将軍俑 

 兵馬俑の兵士には、その一人ひとりにモデルがいる旨については、既に上の方で書きました。ですから、実在していた軍の組織そのままに兵馬俑と一口で言っても、 様々な階級の人がいます。
 最初に紹介するのは高級軍吏の俑です。将軍俑とも言われています。立派なひげを蓄えた貫録十分な将軍です。後で出てくる兵士に比べて鎧も豪華です。下の写真と比べると相当な違いに気づくはずです。鎧も頑丈な部分が広く、防護性が高いものになっています。
 この高級軍吏俑は姿にリアリティがあって、一目で気に入ってしまいました。

 将軍俑
 
 上の写真は将軍俑を後ろから見たところです。頭に冠もつけているのが分かりますし、鎧にも装飾が施され、いかにも高級軍吏という風格です。

 兵馬俑の中級軍吏

 上の写真は中級軍吏の俑です。将軍と同じく鎧を付けていますが、鎧の装飾性はなくなり、また、防御性も低くなっていることが分かるでしょうか。それでも、一般の兵士に比較すると、鎧を着ている分だけ恵まれています。

 
西安・兵馬俑の弩兵 

 上の写真は弩兵です。軽装で鎧を付けていません。実際には両手に弓を持った姿で造られた俑のようです。躍動感がありますね。

 
 兵馬俑の精緻な兵士

 この兵士も中級軍吏の一人でしょう。頭の冠が先に紹介した中級軍吏のものより立派なところを見ると、将軍ほどではないにせよ、一定の地位にある兵士なのだと想像できます。
 この俑は大変見事に修復されているためか、ガラスケースに入って展示されています。

 
 靴の裏まで精緻な兵馬俑

 後ろから見ると分かりますが、修復の程度が良いというのは、まずその色です。当時の色を想像して再現してあるのです。 茶色にオレンジ色のデザインは現代の色彩感覚から考えても見事なものです。
 また、この俑では、靴の裏の模様にも驚かされます。靴裏の模様までしっかりと俑に刻まれているのです。このリアリティあふれる俑には驚かないわけにはいきません。

兵馬俑の騎兵俑

 上は騎兵俑です。騎兵ですから、鎧は上半身のみです。馬もかなり精巧に作られています。


 別の馬の頭の部分です。轡などが精巧に再現されています。


 ここで注目すべきは轡で見ることができる当時の金属加工技術です。紀元前200年以前の中国でこうした金属の加工やデザインを作り上げていたということになります。よくよく考えると、これは大変な技術です。

 

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第3号坑には軍司令部がある

兵馬俑で見つかった軍司令部

 兵馬俑で既に発見された3つの坑(穴)のうち、最も小さいものが第3号坑です。しかしながら、この3号坑には軍司令部のミニチュアがあって、興味をひかれます。これは、遺跡の見学者向けに最近作ったものではなく、秦の始皇帝陵の副葬品として、埋められていたものであることは言うまでもありません。

 兵馬俑の軍司令部ミニチュア

 ですから、このミニチュアに示されている構造は、始皇帝の時代に使われていた軍司令部の構造そのものであり、馬や警備の兵士たちの配置も実際に即して作られていると思って良いと思います。私はこのミニチュアを見て警備の兵士の多さに改めて驚くとともに、これでは始皇帝を暗殺しようとしても、暗殺者は容易には始皇帝に近づけないだろうという印象を持ちました。


  実際の兵馬だけでなく、軍司令部のミニチュアまで自分の墓の副葬品として準備した秦の始皇帝は自分の死後も、墓の中から天下に影響力を持つことを望んでいたのでしょう。

 秦始皇帝陵博物館と言うと兵馬俑だけを見て帰ってしまいそうですが、もう一つ絶対に見逃してはならない文化遺産があります。それが銅馬車(中国では「銅車馬」と言います。)です。その豪華な馬車は兵馬俑とはまた違った意味で、感動を与えてくれます。

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兵馬俑(西安兵馬俑博物館)


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