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アジア写真帳(紹興)−柯岩風景区(魯鎮景区)


アジア写真帳(紹興)


  魯鎮とは、魯迅の小説、「故郷」「阿Q正伝」や「狂人日記」に出てくる架空の街で、魯迅が少年期を過ごした紹興がモデルになっています。「魯鎮景区」は、その架空の街、魯鎮を作り上げたもので、言い換えれば、昔の紹興の街を再現しているとも言えます。
 「魯鎮景区」は2003年9月の完成ですから、柯岩風景区のうち、最も最近完成した景区ということになります。
 写真は鳥居のように見えますが、牌坊といって、通常、街や村の入口などに、その街や村に貢献した人などを記念して建てられます。魯鎮の入口に、魯鎮景区の完成を記念して建てられたものでしょう。
 魯鎮では、魯迅文学の名場面が石像になって、再現されています。なかでも、「阿Q正伝」の阿Qは、街のあちこちで登場します。魯迅文学も振り返りながら、魯鎮の街を紹介していきましょう。


 魯鎮景区は、20世紀当初の紹興の「水郷の雰囲気の再現」「当時の建物の再現」「当時の自然環境の再現」を意図して造られたテーマパークみたいなもので、飲食エリア、店舗エリア、レジャーエリア、民家エリア、水上遊覧エリアがあります。飲食エリアでは、伝統的な江南地域の農菜(農家料理)なども食べられます。また、店舗エリアでは、お土産屋が軒を連ねていて、紹興名物のフェルト帽なども売っています。水域面積の広い紹興市のイメージを出すために、鑑湖に沿って、魯鎮を造ったのではないかと思います。
 上の写真は、運河と民家ですが、運河の街、紹興らしい風景ではないかと思います。


 奎文閣と名づけられた建物。「奎文」とは学問を司る星のことで、山東省曲阜市にある孔子廟にも奎文閣というのがありますが、この奎文閣は図書館みたいなものだったようですので、恐らくは魯鎮の図書館なのでしょう。「儒教は、支配者が支配の道具として利用したに過ぎず、封建支配を支えてきた構図である」とする魯迅の儒教観からすると、孔子廟の図書館と同じ名前の建物が魯鎮にあるのも、不思議な感じがします。
 写真の通り、木造三階建ての立派な建物で、質実な中にも、優雅さが漂っています。


 奎文閣へと続く橋です。魯鎮景区はオープンしてまだ日が浅いので、建物や橋などの建造物に風格が感じられませんが、もう少し年季が入ってくると、さらに落ち着いた街に見えると思います。
 昔の紹興はこんな感じの街だったのでしょう。今でも府山公園のあたりは、少しこういった雰囲気が残っていると思います。

 

 戯台(舞台)です。江南地方の鎮(街や村)では,戯台が鎮の中心です。この魯鎮の戯台も屋根が跳び上がり、鎮で最も壮麗な建物になっています。この魯鎮においても、戯台は鎮の中心に位置していて、戯台の周りが広場になっています。戯台では様々な催しがあるようですが、この日は、若い歌手が戯台で歌を歌っていました。


 若い歌手がカラオケをバックに中国民謡を歌っていました。この衣装からすると、ポップスを歌いそうなのですが、ちょっと意外でした。




 壁に「當」の印がついている建物は質屋です。質屋は、魯迅の小説によく出てきます。上の写真は、質屋のカウンターです。
 魯迅には、少年時代の実体験として、父親のための漢方薬を買うために、質屋通いをしたことがありました。彼の身丈の倍もある質屋の高いカウンターで、着物や首飾りを換金し、薬屋へと通う毎日でした。
 漢方医の処方で、「つがいのコオロギ」や「三年霜にあたった甘藷」など、なかなか手に入らないし、そのうえ、高価な薬を買わざるを得なかったからです。結局、父親の病気はだんだん重くなり、ついに死んでしまいます。後日、魯迅は、もともと、処方自体がいい加減だったことに気づきます。そして、魯迅は悟ります。「中国社会には、不真面目な生活態度から、誇張や悪質な詐欺的行為まで、様々な「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」が存在する。その馬馬虎虎が、支配者によって意識的無意識的に利用され、旧社会の支配体制を支えてきた」と。
 ここから、魯迅の戦い、言い換えれば、「馬馬虎虎」との戦いが始まります。「馬馬虎虎」とは、「いい加減」とでも訳せばよいのでしょうか、当時の中国人の心にはびこる「いい加減さ」に他なりません。魯迅の小説のテーマは、まさに、この「馬馬虎虎」との戦いなのです。
 というわけで、質屋は、魯鎮に、なくてはならない存在です。


 魯氏の祖廟です。祖廟とは、一族の祖先を祀るための建物ですが、村や街の会議の場、学習の場としても、利用されることがあったようです。
 立派な入口ですね。


 祖廟の中です。かなり広いスペースです。何も置かれてないので、ちょっと祖廟らしくないかなとは思いますが、建物の装飾は豪華です。
 祖廟については、諸葛孔明の子孫が住む諸葛村に、諸葛一族の祖廟として、丞相祠堂や大公堂といった建物がありますので、興味がある人はご覧ください。




 鑑湖へ行く舟乗り場もあります。柯岩風景区を魯鎮景区、鑑湖景区、柯岩景区の順に回るときは利用しますが、普通は私のように、柯岩景区、鑑湖景区、魯鎮景区の順に回りますから、利用価値はないかもしれません。


 さて、魯鎮は、魯迅の小説、「故郷」「阿Q正伝」や「狂人日記」に出てくる架空の街で、魯迅が少年期を過ごした紹興がモデルになっていることは、既に述べました。この魯鎮には、阿Qの像が多いですね。この像は、意気軒昂な阿Qですが、阿Qの「精神勝利法」を表現しています。
 「精神勝利法」とは、けんかに負けたり、周りの人間に馬鹿にされても、自分の敗北を勝利に転ずる自己欺瞞のことで、例えば、けんかに負ければ「相手は自分の子供くらいの年だから、自分のほうが偉いんだ」とか、役人の試験を受ける子供持つ親が尊敬されていれば、「もし、俺の子供だったら、もっと偉くなるさ」などと、別の面で常に勝利し、自己満足を得ることを言います。言い換えれば、自分が優越である明確な根拠なしに、「虚」において勝利するということです。阿Qは、つまらないことでけんかをしては負けるという生活の繰り返しですが、そのつど、「精神勝利法」で機嫌を直し、自己満足するわけです。
 魯迅は、「阿Q正伝」の中で、この「精神勝利法」が、当時の中国人に蔓延していた「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」の象徴であるとしていたのではないでしょうか。「阿Q正伝」では、阿Qが強盗事件の犯人にでっち上げられて、いい加減な裁判を経て、死刑になってしまうのですが、その死刑の直前まで、阿Qは自分が死刑にされることさえも気づかないという筋書きです。
 阿Qは、死の直前に、「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」の恐ろしさに気づきながら、処刑されます。


 これも、「阿Q正伝」の名場面、「『にせ毛唐』にステッキで打たれる阿Q』です。『にせ毛唐』とは、洋式学校に入って感化されたのか、西洋式の服を着て、ステッキも持ち、それに西洋人のように膝も真っ直ぐになっている(当時の中国の僻地では、西洋人には膝関節がないと信じられていたそうです。)男につけた名前で、阿Qが心の中でつけたあだ名です。洋式学校に行くのですから、村の名士の息子です。
 にせ毛唐は、辮髪も切ってしまった(清代では法律違反)ため、辮髪のかつらをつけているのですが、にせ毛唐とすれ違った阿Q(この日は特に機嫌が悪かった。)は、「この坊主頭……」と口にしてしまったものですから、「にせ毛唐」にステッキで徹底的に痛めつけられている様子です。亞Qは、「あの子供のことを坊主頭と言ったんです」と言い訳しています。
 もちろん、阿Qはその後すぐに、「精神勝利法」で機嫌を直し、意気軒昂になるわけですが、……。

 これは、小説「祝福」の名場面、川に米研ぎに来ていた祥林嫂が、二人の男に拉致されていく場面です。
 若くして夫に死なれた祥林嫂は、魯鎮で雇われていましたが、まもなく元の嫁ぎ先に連れ戻され、花嫁として山奥に売られてしまいます。が、子が生まれるとすぐに、二人目の夫も死に、子も狼に食べられてしまう不幸な女性で、その結果、周りからは「不吉な女」とみなされ、大晦日の大祭などの吉事では、祭りに使う器やお供え物に手を触れることも許されない状況です。
 中国には、この魔女狩り的な考え方、魯迅の言葉を借りれば「悪霊支配」が多かった(例えば、文化大革命もその一種ではないでしょうか。)のですが、この悪霊支配の根底にあるのも「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」であるというのが、魯迅の考え方のようです。魯迅の文学は、中国人、中国社会のために、「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」を撲滅するための戦いなのです。
 さて、小説「祝福」では、彼女は乞食同様になってしまったうえ、大晦日の大祭の日、「祝福」の爆竹が鳴る中で、自殺してしまいます。「死んでから、人間は家族と一緒になれるのでしょうか?」という最後の希望にさえ、魯迅は答えを出していません。

魯迅の本のおすすめはこちら

阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)
「阿Q正伝」「藤野先生」のほか、「狂人日記」、「孔乙己」等も収録

魯迅―阿Q中国の革命 (中公新書)
中国人民にはびこる「馬馬虎虎(マーマーフーフー)」を憎んだ魯迅。
彼の作品が中国を革命(中華民国の建国)に導いた。


 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか、商店街に出ました。紹興臭豆腐ののぼりも見えますが、ここには、食堂も沢山あります。
 つくづく思うことは、中国は本当に豊かになったなあということです。私が香港に住んでいた1990年代前半には考えられなかったことです。やはり、ケ小平氏の「社会主義資本経済」のおかげだと思う一方で、清の時代から思い起こせば、辛亥革命に始まり中華人民共和国となり、文化大革命という不幸な時代が一時あったものの、着実に旧体制から新体制への変革が行われてきた成果だと思います。
 そういった中で、魯迅の功績を考えるならば、中国人の「精神の解放」「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」からの脱却といった面で、果たした役割は大きかったのではないかと思います。
 私の周りを見ると、最近の日本人が、社会や会社に媚びて、「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」になってきているのではないかと、日本の社会に危機感を感じてしまいます。

 
 店舗エリアです。色々な店がありますね。お土産買うには困らない場所ですよ。
 もう、そろそろ商店街が終わるのですが、右前に、もう一つ、像が建っています。さて、何でしょう?


 また、阿Qでした。「革命だ!」と騒いでいるところです。この場面も、また、「阿Q正伝」の中の有名な場面です。
 阿Qは、革命とは何かを分かっているわけではありません。むしろ、革命は謀反であり、革命者は敵であると思っていたくらいです。ところが、革命軍が阿Qの村に近づいてきたある日、あたかも革命派であるかのように、村の中を騒いだのです。「謀反だ!謀反だ!」と言いながら。そして、村の人々がおびえながら彼を見るのを見て、満足感に浸ったわけです。
 まさに、「馬馬虎虎(まーまーふーふー)」の性格、「精神勝利法」による自己満足が、ここに描かれています。
 この翌日、阿Qが村の中で発生した強盗事件の犯人にでっち上げられ、やがて銃殺されてしまったことは、既に記した通りです。





 やっぱり紹興の街を代表する名士と言うと、魯迅なんですね。
 私は今回初めて紹興に行って、魯迅が中国人の間で大変慕われているということを、改めて知ることになりました。中国の沢山の若い人たちがこの魯鎮を訪れています。これをきっかけに、魯迅文学に興味を持ち、強い精神を持つ若者に成長していくのかも知れません。
 今回の旅行に先立ち、私も学生の頃に読んだ魯迅の本を読み返したわけですが、当時は全く面白くないと思っていた魯迅の小説を、今読むと、大変興味深く感じることができました。これは恐らく、私がたまたま中国の改革・開放をずっとウォッチしてきたからなのかも知れませんが、魯迅が彼の小説の中で主張したかったことを、今は理解できるようになったからなのかも知れません。
 さらに、今回紹興の街を見て、魯鎮のイメージを膨らますこともできた今、魯迅文学にますます興味を持つようになって来ました。



 魯迅の像の隣には、彼の作品である「故郷」の冒頭の有名なフレーズが書いてあります。

 ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか。
 私の覚えている故郷は、まるでこんなふうではなかった。私の故郷は、もっとずっと良かった。その美しさを思い浮かべ、その長所を言葉にあらわそうとすると、しかし、その影はかき消され、言葉は失われてしまう。やはりこんなふうだったかもしれないという気がしてくる。そこで私は、こう自分に言い聞かせた。もともと故郷はこんなふうなのだ。(魯迅作「故郷」、竹内好訳)
 

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