大連駅とその周辺 |
大連駅の開業は1903年1月。現在の駅舎は、日本の統治下にあった1937年に,当時の鉄道省技師で満鉄に移籍した太田宗太郎氏により設計されました。大連駅は上野駅に似ているとよく言われていますが、確かに似ています。現在の上野駅駅舎が完成したのが1932年ですからほぼ同時期に建てられているのです。 大連での宿泊はここ大連駅前から中山広場あたりのホテルを選ぶことの多い私ですが、人も車も多くせわしないにもかかわらず、この大連駅の建物を見ると何か安心感を覚えるのは、いつも見慣れた上野駅に似ているからかもしれません。 |
大連駅の周りには、日本が統治していた時代の名残がたくさんあります。上の写真は旧三越百貨店の建物で、現在は秋林という中国資本のデパートになっています。言われてみると、何となく三越かなあと思ってしまう建物です。 ここで、大連と日本との関係に少し触れてみます。日本が大連を統治したのは、日露戦争後のポーツマス条約の中で日本がロシアから租借権を譲渡されたことに始まります。以来、第二次世界大戦が終了するまで、大連は「関東州」と呼ばれる日本の租借地だったわけです。大連には満鉄の本社などもあったことから満州国に属していたなどと誤解している人が少なくないようですが、満鉄という半官半民の会社は、満州国という外国には本社を置けるはずもなく、言い方は悪いですが租借地だった大連だからこそ設置できたわけなのです。 また、日中戦争に向けて暴走した関東軍は、関東州の守備隊を前身とした軍隊です。その本部は、当初、大連に近い旅順に設置されていましたが、満州事変後は満州国の首都である新京(現在の長春)に移転しています。 こうした歴史の中で、日本の非道な行為は大連では比較的少なく、むしろ街づくりへの貢献も小さくないことから、中国東北地域においては、というか中国全土を見渡しても、対日感情が比較的良好であることが大連の特徴です。 |
そうした日本と大連との関係を考えれば、当時から日本人が多く住んでいたことは容易に想像できます。満州国があった時代にその数はピークに達するのですが、その数は9万人弱だったようです。それでも、当時の大連の総人口が70万人強ですから、8人に一人が日本人という割合はかなり高いものです。 当時の日本人の居住区は今でも大連市内にいくつか残っています。で、大連駅の西側にあるこのエリアもそうした中の一つです。ここも、そう遠くない時期に再開発されてしまうのは間違いのないところです。 |
上の写真は大連駅前を走る市電です。日本の時代から走っている路面電車です。満鉄の時代から走っている路面電車です。当たり前ですけれども、日本のどこかの市電と同じですね。 |
大連の市電は201系統と202系統という二路線があります。どちらも利用者が多い路線です。私たち日本人からすると、路線が分かりますのでバスよりは乗りやすい交通機関だと思います。 |
せっかくですから、大連駅から路面電車に乗って市内をぐるりと見て回りましょう。スピードが出ませんから観光気分で景色を楽しめるのです。また、次の駅も表示されていますので、注意していれば降り損なうこともないはずです。料金は1元です。 |
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市電に乗って大連の街めぐり |
市電の201系統に乗って、旧満鉄本社の付近に来ました。正面が満鉄本社で、新旧の車両がちょうどすれ違うところです。新しい車両の方が乗り心地ははるかに良いのですが、私くらいの年になると日本の市電へのノスタルジーもあるので旧車両も捨てたものではありません。 |
満鉄本社ビルはもともとはロシアの租借地だった時代に学校の建物として設計されたものを、完成した時点では日本の租借地だったものですから、満鉄本社として利用したようです。建物がいくつかの棟に分かれていますが、統一感あるデザインです。 |
柱や壁には、上の写真のような装飾が施されている部分もあったりします。 |
ここも満鉄本社だった建物です。現在は大連鉄路の事務所として使用されています。遠くから見るとすっきりしたデザインですが、近くで見ると重厚な雰囲気が漂います。 |
さて、上の写真は大連一の繁華街である西安路を走る市電です。大連駅前を走る201路の終点駅、興工街で202路に乗り換え、一駅乗ったところです。ここは、マイカルがある羅斯福(Roosevelt)広場というショッピングセンターを中心に、若者に人気の高いエリアです。 なお、202号線はそのほとんどが専用軌道ですので、星海広場やハイテク工業区の方面にに向かう場合は、渋滞で時間がかかる自動車やバスよりも便利です。 |
西安路の羅斯福(Roosevelt)広場です。上の写真からも、とてつもなく広いショッピングセンターであることが分かるかと思います。 しかし、「羅斯福」は「Roosevelt」とはなかなか読めないですね。海外の地名や人名はこういう当て字になってしまうのですが、「羅斯福」のように無理して作った当て字は、英語のまま発音しても通じないので困ったものです。 |
羅斯福(Roosevelt)広場の中です。洗練されたショップがいろいろ入っていて飽きさせません。歩いている人たちは、普通の大連市民といった感じで、特にお洒落な人が集まっているわけではないです。 まあ、こんな感じで大連の市街地を見て回るときに、市電(路面電車)は便利ですよ。 |
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歴史的な建造物が建ち並ぶ中山広場 |
さて、大連駅付近の紹介をするはずの頁で、駅からはちょっと遠い満鉄本社や西安路の紹介をしてしまいました。話を大連駅付近に戻します。 大連駅周辺で観光客が見ておくべきスポットとしては、昔ながらの商店街である天津街やロシア人街と並んで中山広場があります。中山広場は直径213mの円形広場で、ルネッサンス様式やゴシック様式の建物が周囲を取り囲み、独特の雰囲気を漂わせています。 |
【wikipediaから転載】 |
上のwikipediaに掲載されていた写真が分かりやすいと思いますが、この広場を中心に10本の道路が放射線状に伸びていて、大きな「ラウンドアバウト」(信号や一時停止がない一方通行の環状道路。渋滞が少なく欧米でよく導入されています。)となっています。もともと大連の街の設計についてはロシアが行っていますが、その際にパリを模した街を作ろうとしていたようで、そういえばパリの凱旋門の周りもラウンドアバウトになっています。 ポーツマス条約でロシアから大連の譲渡を受けた日本は、ロシアが作成した都市計画を踏襲し、この中山広場のラウンドアバウトの周囲に当時の行政機関や銀行を集め、そうした街の中枢にふさわしい建物を配置したわけです。 |
中山広場を取り囲む建物の中で、日本人に最も知られているのが上の写真の大連賓館です。日本の統治下においては、大連ヤマトホテルという満鉄が経営する高級ホテルでした。 |
大連賓館(旧ヤマトホテル)の建物は1914年の完成ですから、もうまもなく100年が経過します。正面から見ると8本の円柱や窓の周辺の装飾が目立つルネッサンス様式の建物です。建物内の装飾も当時の重厚な雰囲気が随所に残っています。現在も大連賓館として、日本人観光客やビジネス客にも利用されています。私は宿泊したことがないのでわかりませんが、客室も改装されて現代的な設備も整っているということです。大連でクラシックホテルに宿泊したいということであれば、このホテルはおすすめです。 |
大連賓館と対角線上の位置に建っているのが中国銀行遼寧省支店で、日本統治下においては横浜正金銀行だった建物です。横浜正金銀行は東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身で、専ら外国為替と貿易金融に特化した銀行です。 この建物は緑色の屋根の形に特徴があり、その明るい色彩が中山広場の周りでもとりわけ目立ちます。 |
上の写真は中国工商銀行大連支店ビルで、日本統治下で1919年に大連市役所として建てられた建物です。大きな建物です。 この中山広場の周りは、上で紹介したとおりラウンドアバウトになっていて、一方通行ではあるのですが、4車線もあって、しかも交通量が少なくないものですから道路を渡るのに苦労します。ただ、周りの建物を見ようとするとどうしても広場の中に入らないといけないものですから命懸けで渡ることになります。 ただ、最近は地下道で行けるようにもなりましたので、無理をして道路横断などせずに安全な地下道で中に入られることをおすすめします。 |
この建物は1950年にロシアにより建てられた大連人民文化倶楽部ビルで、コンサートなどに利用されている建物です。建設された時期は異なりますが、中山広場の景観に合った建物となっています。 |
上の写真はさらに新しい建物で、2000年に建てられた大連金融ビルです。もともとは英国領事館があった土地ですが、中山広場の景観にも考慮して6階建てという当時としてはかなり低層の建物となっています。屋根にドームもあって、それなりに違和感なく見ることができます。 中山広場の周りの建物は2001年に中国の文化遺産(全国重点文物保護単位)として指定されましたので、今後はこうした建替えもなくなると思います。想像するに、この大連金融ビルの建設がきっかけとなり、文化遺産指定がなされたのだと思います。日本と大連との結び付きの強さを感じさせる中山広場の周りの景観が今後とも保護されるということですので、私としては嬉しい限りです。 |
大連 TOP |
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満鉄博物館(旧満鉄本社) |
天津街で買物とB級グルメ |
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双興卸売市場と中国茶市場 |
星海広場と星海公園 (お粥の朝食、大連のPM2.5) |
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春餅と毛血旺 |
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