揚州、何園の水心亭と回廊|アジア写真帳(揚州)

(2015年4月5日以来)

揚州、何園の水心亭と回廊YANGZHOU


何園の水心亭と二階建て回廊


  何園は揚州に数多く存在するいわゆる私家園林で、その中は庭園部分と居宅部分とに分けられています。庭園部分は「寄嘯山荘」と名づけられています。その寄嘯山荘のハイライトは、池の中に建つ水心亭とそれを取り囲む回廊です。
 上の写真中央が水心亭で、それを取り囲む回廊の景です。回廊の一部は複道廊(「道廊」とは一階と二階に二層ある回廊を指し、「複廊」とは中央を壁で仕切られた回廊でその両側を歩くことができる回廊を言います。)になっていて、中央の池や水心亭を様々な角度から楽しめるようになっています。


 何園の回廊と空窓(四角や丸や六角形、花型などに切られた窓で、時には花瓶やひょうたん型に切られた窓もあります。)の写真です。ここは二階建ての回廊ですから「道廊」ですが、壁の向こうにもう一つ回廊があるわけではないので、「複道廊」ではありません。
 写真でお分かりの通り、回廊にある空窓には一つとして同じデザインの空窓はありません。実は、壁の向こうには邸宅部分があるのですが、この色々な形をした空窓から欧州風の邸宅部分がちらちらと見えるのです。
 中国庭園の楽しみ方や基礎知識については、蘇州古典園林の楽しみ方をご覧いただくとよく分かると思います。

 

 この二階建ての回廊というのは、清の時代の中国庭園によく見られる形式で、揚州では庭園の造成が清代に行われたものが多いため、个園をはじめ多くの庭園で見られる建築様式です。一方、蘇州の古典園林は明代以前に建てられたものが多いため、この二階建ての回廊はあまり見られません。ただ蘇州でも耦園のように清代に造られた庭園ではやはり立体的な庭園づくりがなされています。
 要は、清代に立てられた庭園は敷地面積にそれほどゆとりがない中で、変化を付けるために立体的な視覚から庭園を楽しむ様式が普及し、その中の一つとして二階建て回廊も登場してきたのだと思います。


 水心亭です。
 池の中に建つこの亭では、ヨーロッパの管弦楽の演奏などが行われることも想定して造られたものだという説があります。すなわち、庭主の何芷舠はパリ滞在中にヨーロッパの音楽に強く引かれていたため、自宅にそうした音楽家を招き演奏会をしたいという思いがあって、音響効果等も考えて、周りを総二階の建物で覆った。そして、二階の回廊はそうした音楽が演奏されるときの観覧席にもなるのだという説です。そもそもこの正方形の形をした空間は、ヨーロッパのコートヤード的な発想だとも言われています。なるほど、言われてみると、確かにそんな風にも見える池周りの景です。
 水心亭の左には太湖石の石橋が見えます。次にこれを見てみましょう。


 太湖石の石橋です。鑑賞するには素晴らしくても実用性には乏しい感じのする太湖石ですが、こうして石橋にすると、それはそれでがっしりとした豪華な石橋になるものです。こうした石橋は个園にもありました。


 この橋を横から見たところです。太湖石を見事に組み立てて橋桁まで作っています。正面から見たとき以上に、頑丈なつくりであることが分かります。


 さきほどお話しした花窓から見える邸宅部分の景です。花窓には遠くから見た構造(切り口の形)としての景と、空窓の形(切り口)を額縁として見た空窓からの景、という二つの景を楽しむものです。また、空窓には窓ガラスがないわけで、これは通風孔としての機能も担っているといっても良いと思います。そんなこんなで、色々なことを考えて空窓というのは造られているのです。


 さて、それでは、今度はいよいよ二階に上がって、二階の回廊からの景色を楽しんでみましょう。階段の手すりを見ますと、中国というよりも、むしろヨーロッパの感じがしませんか?


 夏になると何園の池にも蓮の花が咲きます。上の写真は9月ですので、もうすでに花の時期が終わり、蓮の葉だけの池になってしまいましたが、それでも池面に蓮の緑が見えると、心が和みます。


 9月の水心亭を正面から写してみました。一番上の写真と比較すると、やはり蓮の葉があるだけで、柔らかいやさしい雰囲気になります。
 今度何園に来る時は、蓮の花が咲く時期にしたいものです。



何園の二階回廊からの景


 二階の回廊から、回廊部分を見たところです。一定間隔で空窓が口を開けています。揚州のように夏暑く、また湿気が高い地域では空窓の通風孔としての機能は本当に大切です。


 二階回廊から見た水心亭です。先ほど紹介した「水心亭ステージ説」は、水心亭の手前の平台のスペースが、弦楽四重奏などをするのに適した広さのステージではないかという説です。なるほどそんな感じのするつくりですね。


 何園は私家庭園ですから、他の中国庭園と同様に、招待した客人に庭園を楽しんでもらい、また、料理を提供する接待場所です。ここ何園で客人と食事を楽しんだのが、上の写真にある大庁です。この建物も他の建物と同様に名前を付けられるより前に庭主が亡くなってしまいましたので、大庁という一般的な名前が正式名称です。しかし、屋根が跳ね上がりその様が蝶が羽を広げたように見えるため、胡蝶庁という俗称が付けられていて、その名前の方が今では一般的です。


 その大庁(胡蝶庁)を一階部分から見ると、威圧感はある建物には見えても、蝶が羽を広げたという華麗な建物には見えません。こんなところに、立体的な視覚の面白さがあります。


 胡蝶庁の二階回廊から見た水心亭方面です。水心亭の手前の池が建物側に入り込んでいるため、池に広がりを感じさせます。これは、胡蝶亭の前の庭を池に食い込ませる形で前方に広げているために起こる錯覚ですが、色々考えて造られた庭園だと感心してしまいます。


 この時期だけかどうかは知りませんが、ここ何園のガイドさんは若い大学生みたいな人ばかりで、上の写真でちょっと眺めのスカートをはいて背を向けている人がガイドさんです。私はガイドさんもつけずに回っていたのですが、ここの大学生みたいなガイドさんでしたら、英語の話せるガイドさんも多いのではないかという気がしました。

太湖石の築山


 何園には、目立たない場所に立派な太湖石の築山があります。


 水心亭の側から見た石組みの写真です。
 実はこの石組みの裏にも道が続いています。今度は、そちらに回ってみましょう。


 これは、上で紹介した築山を裏側から見たところです。水心亭から見て築山の裏側からの景になります。


 この築山も登れるようになっていますので登ってみましょう。石組みの中に細くて急ではありますが、小道が作られています。途中から石組みの下を見ると、よくよくうまく組み合わせたものだと感心してしまいます。


 築山の上から水心亭の方向を見ます。
 なるほど、これが何園の最も良い景色なのです。何園の主人が客人を案内し、最後に連れて行くビューポイントがここ築山山頂なのだったのではないでしょうか。水心亭、太湖石の橋、そして、二階建ての回廊、これらが一度に目に入ってくるばかりか、見事に調和していることに感動します。



何園の邸宅部分


 何園の邸宅部分です。何園ができた頃の時代背景(第二次アヘン戦争の時代)を考えれば、欧州風の邸宅を建てるなどというのは非国民のようにも見えますが、清は満州人政権であり、庭主の何芷舠は漢人であることを考えれば、そんなことは気にもならないのかもしれません。


 この邸宅は芝の植えられたコートヤードを囲むように建物が建てられていて、庭園部分も西洋のコートヤードを模したものだとする説も、なるほどうなづけます。何園の案内板を見ると、「120年前としては新しいコンセプトの邸宅で中洋折衷の新しい建築様式です」などと紹介されていますが、殆どヨーロッパ調の邸宅だと私は思います。


 主人の書斎です。いかにも中国風の堅牢な机と椅子、そして、本箱など、落ち着いた雰囲気の書斎です。左の掛け軸に描かれているのは、庭主の何芷舠なのか、それとも彼の祖先なのかは分かりません。いずれにしても辮髪をしていますから、清の時代の絵のようです。
 蓄音機があるのが、フランス帰りの何芷舠らしいところです。


 寝室です。カーテンの趣味などは洋風ですが、設置している家具や奥のサイドテーブルに置いてある茶碗などは中国風です。
 庭園も中洋折衷でしたが、庭主の何芷舠の生活ぶりも、まさに中洋折衷だったような気がします。


 お嬢様の部屋です。ピアノが置かれ、カーテンや電気スタンドもお洒落です。120年前にこんな生活をしていた中国人もいたのだと、認識を新たにしました。


 お嬢様の寝室です。手前の部屋にピアノが置いてありました。メルヘンチックな部屋です。


 ここはいくつかある家族の居間の一つです。テーブルクロスやテーブルの上の燭台が高級官僚の邸宅らしい雰囲気を漂わせます。ティーカップがあるからといって英国茶を飲んでいたのではなく、恐らくは中国茶を飲んでいたのだろうと思いますが、いずれにしても内装や家具は中国調のものは少なく、限りなくヨーロッパの香りがする邸宅です。
 何園は「晩清第一園」という性格もありますが、庭園部分も含め私は「中洋折衷の庭園」という印象を受けました。