痩西湖:長堤春柳から徐園、小金山へ|アジア写真帳(揚州)

(2015年4月5日以来)

揚州・痩西湖:長堤春柳から徐園、小金山へYANGZHOU

長堤春柳と徐園



 痩西湖を正門から入ってしばらく行くと、川に沿って柳並木が続く気持ちの良い散歩道になります。ここが長堤春柳といわれる地域で、上の写真の通り、道の両側に柳の木が揺れ、気持ちの良い通りです。春には桃の花が咲くのもこのあたりです。
 痩西湖が杭州の西湖をイメージして作られたことは他でも書きましたが、西湖の柳浪聞鶯蘇堤のあたりが、この長堤春柳のモデルではないでしょうか。雰囲気としては蘇堤の歩道を歩いているような気持ちになりますが、蘇堤の場合は両側が西湖です。湖の浚渫で出た泥を積み上げて堤にしたのが蘇堤ですから、スケールはかなり劣ります。でも、この長堤春柳では爽やかな風が流れ、のんびりと雰囲気を味わいたくなる気持ちになります。これからの痩西湖観光に大いに期待を持たせる風景です。


 長堤春柳から痩西湖方面を見ると、遊覧船がのどかに走る姿を数多く目にします。痩西湖は蛇行した川を拡張して湖にしたものですから、このあたりはまるで川のようですが、痩西湖の一部です。


 前方に、写真上にある橋が見えてくると、長堤春柳も終わり、徐園になります。上の橋は徐園から対岸に架かる橋で、後ほど渡ることになります。左側が徐園で、橋の両側は黄石が積み上げられています。

 



 徐園の入口です。立派な門で、「徐園」の字も素晴らしいものです。
 徐園という名は、実は私が大阪でよく行く中華料理レストランの名前で、実は揚州に来るまで、本物の徐園に行けることを大変楽しみにしていました。でも、実際に徐園に来て見ますと、門の字体ほどには立派なものではありません。
 中の建物の紹介は省略して、さきほど長堤春柳から見た橋のあたりを歩いてみましょう。


 徐園から先ほどの橋に行くところです。橋の両側に黄石が積み上げられていたのを長堤春柳から見ましたが、近くに来ると、上の写真のように、黄石に造られた階段を登って橋に行きます。
 端の向こうに対岸の東屋(亭)の屋根が見えます。


 橋の上からの痩西湖の眺めです。長堤春柳は右手の石造りの埠頭から奥のほうに延びています。正面にかすかに見えるのが揚州の市街地です。この痩西湖の周りは自然がそのまま残されていることがよく分かります。


 対岸の亭から橋越しに徐園方向を見ます。徐園の裏門的な建物も見えます。
 徐園は中国辛亥革命の時期、「徐宝山」という軍閥の拠点だったといわれています。園内には池があり、その周りにいくつかの建物や花木が配置され、江南風庭園になっています。




小金山


 徐園を過ぎてまもなく行くと上の写真のような赤い橋が見えます。ここが痩西湖で最も大きな島である小金山への入口です。小金山はまた、痩西湖で最も高い山でもあります。島なのになぜ小金島という名前にしないで、小金山という名前にしたのでしょうか。
 この小金山という名前には次の二つの由来があります。
 一つは、この島を作るのには大変お金がかかった、山のような金を使ったから小金山にしたのだという説です。もう一つは、揚州の隣町、鎮江にある金山(金山寺という名刹もある信仰の山)に因んで、「小さい」金山ということで「小金山」としたという説です。


 橋から五亭橋方面を見たところです。今風のボートが多すぎて雰囲気が台無しです。そもそも、この橋から見る五亭橋はそれほどではなく、小金山から突き出ている釣魚台(上の写真の右隅に見えている建物)から見える五亭橋こそ、絶景なのです。


 橋を渡り、小金山の入口にある円洞門です。
 痩西湖の管理会社のホームページを見ると、こんな面白い逸話が載せられています。ある時、こんな質問がありました。「杭州には西湖があり、それに対して揚州には痩西湖があります。鎮江には金山があり、それに対して揚州には小金山があります。いずれも“痩”とか“小”とかの字を名前の前に書き加えています。どうして揚州人はそんなに謙虚なのですか。」その問いに対して、揚州中国書画院元院長の李亜如さんは「すらりとして美しいこそ痩と言われ、山は小さいのではなく精巧なのです。」と答えたそうです。この話は、揚州は庭園は見るまでもなく、揚州人の真似上手と奇想天外さも持ち合わせた特徴をよく表しています。
 こんな逸話にも出てくる小金山、これからご案内します。

 関帝殿、三国志の関羽を神様として祀っている建物です。関羽は恐らくは中国で最も信仰されている神様で、関帝廟という関羽を祀る寺院は中国各地に、また、全世界のチャイナタウンで見られます。武勇で名高い関羽ですが、関公として信仰されると「商売の神様」になります。この関羽信仰は、日本には入ってこなかったようです。


 間停電に飾られている書です。中国の四つの書体がこうして並べられているのは珍しいので、思わず写真を撮ってしまいました。中国の書家を目指す人は、これら四つの書体をすべて練習するそうです。


 枯木逢春と名づけられた銀杏の木の前でポーズをとる観光客です。木の幹が縦に大きく裂けているのが写真で分かるでしょうか。
 枯木逢春は、この石碑の説明によれば、もともとは唐代に植えられた銀杏の木で、ある時落雷で幹が裂け枯木となってしまいましたが、養生の結果、春の終わり夏前になると、花が咲き葉が生い茂るようになったそうです。いわゆる中国人の好きな「不老不死」的な木ですから、きっと縁起が良い木だとされているに違いありません。
 この木の前で写真を撮る観光客は後を絶ちません。


 さて、小金山の上の方には、風亭といって、見晴らしの良い場所があると聞いていたので、ちょっと登ってみましょう。黄石で組まれた階段を登っていきます。山の頂上ではないので大して時間はかかりません。


 これが風亭です。
 風亭は痩西湖風景区の一番高いところにあって、ここは前出の朱自清先生が「痩西湖の湖上風景がいいし、月見も相応しいところだ」と言った最高の眺めを楽しめる場所だったようですが、周りの木が生い茂って、視界は残念ながら遮られています。
 風亭には「ここに来ると風月は果てしなく、この亭にいると素晴らしい風景全て眺められる。」という対聯が書いてあります。風亭の名前は対聯の上下句の一文字目の漢字を取って、名付けられたそうです。朱自清先生が言いたいことは、「山は高くなくても良い。重なり合うことが大事だ。川は広くなくても良い。曲がりくねることが大事だ」ということだそうです。これこそ痩西湖と小金山の妙なのです。


 風亭に行くと、風鈴のような音が不規則に聞こえます。ここは、風の通り道になっているようで、屋根から吊るされた鐘が四方八方から周りを舞う風に揺らされて、華麗な音を響かせます。五亭橋にも同じように、鐘が吊るされています。この鐘の意味するところは、五亭橋を紹介するページで解説しています。


 風亭の天井です。鮮やかな色彩の絵が描かれています。竜の絵が描かれているところに、皇帝(乾隆帝)がこの風亭にも足を運んだ後が見えるようです。