鎮江の市内に、西津渡街という一角があります。東方見聞録を書いたマルコポーロも鎮江を訪れていますが、その時代の街並みがそのまま残っている地域です。マルコポーロの時代とは宋の時代です。西津渡街が、別名で『宋街』と言われるのは、宋の時代の雰囲気がそのまま残っている街だからです。 |
西津渡街を歩くためには、建物の中の見学をしなければ、特に入場料とかは必要ありません。そういう意味であまり商売っ気がない街みたいなのですが、やはり最近の観光ブームで人気が出ているせいか、特に入口あたりの街並みが整備されてきてしまいました。建物構造は宋の時代そのものなのですが、建物が新しすぎて雰囲気がいま一つです。2009年9月の時点で、既にお茶屋さんがオープンしていましたが、この辺りの建物が建築中でしたので、今では古い宋街の商店街みたいになっているかも知れません。 |
さて、そういった再開発エリアは急いで過ぎることとして、昔からの宋街を歩いてみましょう。歴史を感じさせる石の階段の向こうには、仏塔が見えます。このあたりの壁や階段は、昔の面影がそのまま残る貫禄十分のエリアです。 かつては、この西津渡街が長江の岸にあって、すぐそばに鎮江の港があり、栄えていたと聞いています。鎮江の港で荷揚げされた貨物を当時一輪車で運ぶため、階段の真ん中に一輪車を通すための道がつけられています。 |
チベット仏教の仏塔と石塔です。この辺りが西津渡街の一つのシンボルです。上の写真の階段からこの石塔を抜けてしばらくの間は、そうの時代にタイムスリップしたかのような雰囲気です。 |
観光シーズンでもないですし、もともと鎮江市自体に観光客が多くないこともあって、ゆっくりと街の雰囲気に浸ることができます。私も暫くこの辺りの路傍に座り、道往く人を眺めながら、遠く宋の時代に思いを巡らしました。 |
西津渡街の道はまだまだ続きます。この辺りは邸宅地なのでしょうか。高い塀と奇抜な屋根の建物が目立ちます。石畳が歴史を感じさせてくれます。 |
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そうこうしているうちに、急にモダンな建築が見えてきます。 イギリスの領事館の跡です。アヘン戦争を終結するために、1880年に中英間で結ばれた南京条約のなかで、鎮江は開港され、イギリスが鎮江に領事館を設立した経緯にあります。なかなか立派でお洒落な建物です。当時の英国領事館は、今日、鎮江博物館となっています。 |
西津渡街の入口です。西津渡街は、昔の鎮江の港の近くにあって、陸揚げされた貨物が街の中を通っていったという話をしましたが、この入口は、港側ではなく街側に続く入口です。この門の下には、道の両側に露天商が並び、陸揚げされた貨物の即売なども行われていたようです。今でも、日によっては、露天商が並び当時の雰囲気を再現しているようです。 鎮江の西津渡街、ぶらりと散歩するには良い街です。 |
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