鎮江の金山寺(江天禅寺)|アジア写真帳(揚州・鎮江)

(2015年4月5日以来)

鎮江の金山寺(江天禅寺)YANGZHOU


 鎮江市内であれば、どこからでも見える黄色と緑色の塔、それが慈寿塔(金山塔)です。金山塔があるのは、長江(揚子江)に隣接する金山という山にある金山寺(江天禅寺)という寺です。江天禅寺という名は、清の康熙帝が金山寺を訪ねたとき、その絶景に感動して名づけたとされています。
 金山は、標高50m前後の小山で、その上に沿って金山寺が広がっています。金山寺が創建されたのは東晋時代ですから、西暦317年から420年くらいということになります。歴史のある寺です。


 金山寺は金山の山腹に沿って建てられていて、山全体に広がっています。
 三国時代にも、同じく鎮江にある甘露寺で、劉備が孫権の妹、孫尚香と見合いをしたとき、多景楼といわれる建物から見た長江と金山が織り成す絶景を「天下第一江山」と賞賛したとありますが、実は劉備の時代には金山寺はまだ金山にはなかったことになります。


 金山のふもとです。金山寺の構外なのですが、ここでも既に線香が焚かれています。まさに、山全体がお寺になっているのです。

 金山寺の山門です。ここでも潜航を持って祈りする人々を見ますが、祈る方向がそれぞれ違っているのが不思議です。左側の男女は寺の方向を向いていますが、手前の女性は全く違う方向を向いています。
 何故なんでしょう。

 

 金山寺の山門に鎮座する狛犬です。日本の狛犬とは少し違いますね。
 狛犬はもともと獅子の像だったといわれています。私が思うに、中国の狛犬は日本の狛犬より獅子に近いのではないでしょうか。




 金山寺の山門をくぐると、山腹一面に広がる金山寺に圧倒されます。この日は本堂が外装工事中のため、良い写真が取れませんが、雰囲気は分かっていただけるでしょうか。


 「度一切苦厄」とは、「一切の苦悩や災厄を取り除く」という意味で、般若心経に出てくる言葉です。私は仏教に詳しいわけではありませんので、知っている言葉が出てくると嬉しくなりますね。


 金山寺の本堂には、黄金色の大きな仏像や羅漢像が沢山並んでいます。外装工事中なので扉を閉められていましたが、工事関係者の通用口から入ってみたらね立派な仏像が並んでいたのでびっくりしました。
 真言宗を開いた空海(弘法大師)も、延暦23年(804年)に、遣唐使の留学僧として唐に渡り,一時ここ金山寺に滞在したそうですし、その他多くの遣唐使がここ金山寺を訪れたと聞いています。彼らも。金山寺の豪壮さや収蔵されている仏像などの豪華さに、さぞ驚いたことでしょう。


 本堂の壁一帯に鎮座する羅漢像。一つ一つの表情や動作に変化があります。金色に輝く見事な羅漢像で、見ていて飽きません。
 中国歴代の皇帝がこの寺を訪れたと聞いていますが、なるほど中国でも有数の格調高いお寺のようです。




 建物の外に出て、階段を上ると、「御筆『江天一覧』」という清の康熙帝の字が石に彫られています。金山寺に江天禅寺と名づけたのが清の康熙帝であることについては、先に記したとおりですが、康熙帝もここからの眺めに感動して、名づけられたのでしょう。確かに、ここからの眺めは素晴らしいものがあります。


 「江天一覧」の碑があるあたりからの眺めです。この方向に長江があります。長江は、以前はもっと川幅があって、金山のすぐそばまで広がっていたのですが、今は治水工事等のおかげでそうした面影はなくなっています。しかしながら、金山寺の周りは養殖場として池が広がっているので、何となく、かつての長江の情景を想像できるような気がします。


 「江天一覧」の碑があるあたりから見た慈寿塔(金山塔)です。清の時代に建てられた美しい八角七層の塔です。


 慈寿塔(金山塔)には建物内の階段で登ることができます。この塔の上からなら、はるか長江の景色も望めるに違いありません。


 慈寿塔(金山塔)の上から望遠レンズで撮った長江です。鎮江も中国の例外ではなく、スモッグが強くて、遠くがどうしても霞んでしまいます。写真は、鎮江と揚州を結ぶ潤揚大橋という橋です。中国最長、世界でも三番目に長い吊橋だそうです。
 鎮江と揚州の間は渡し舟で結ばれていたのですが、いよいよ車でそのまま行き来できる時代になりました。便利になることは良いのですが、長江を渡る橋ができてしまうのは、何か寂しい気もします。