観光地化された西塘の中で、比較的静寂なエリアというと、焼香港の周辺だと思います。
「焼香港」というのは、永寧橋の南からすぐに右に分かれる水路を指すようですが、この水路一帯を「焼香港」と呼んでいるようです。かつては、寺院が沢山あって、香のにおいが絶えることがなかったことから、この名前がつけられたといいますが、今は寺院は一つだけとなっています。
その寺院、経堂では、三国志の関羽が金運(蓄財)の神様として、養子の関平、最後まで関羽に従った家来、周倉とともに祀られています。特に、関羽とか関公とか書いてあるわけではないので、見逃さないようにしてくださいね。
|
|
焼香港付近はこんな感じで水路に沿って柳などの木が植えられていて、落ち着いた雰囲気です。かつては、西塘の高級住宅地であったようです。
|
|
この焼香港の中に、倪宅という地元の名士の邸宅を公開している場所があります。少し中を見てみましょう。倪一族は、倪天増さんという上海市副市長にもなり、中国開放において貢献の大きかった方も輩出していて、この人の記念館として、個人の邸宅が公開されているものです。
|
|
まず、承慶堂と名づけられた応接室として使われていた部屋です。壁に掛けられた掛け軸や中国家具の配置が、いかにも中国の応接室という感じです。
質素な中にも凛とした風格を感じさせる部屋です。
|
|
その他に、厨房や寝室なども公開されていて、日本人としてはあまり馴染みのない中国の家庭というものを垣間見ることができます。
|
|
また、倪宅の水路側に出ると、焼香港らしいこんな雰囲気の場所になります。水路で移動できるように、また、水路で洗い物ができるように、あちこちに水路に下りる階段がついています。
落ち着いた雰囲気の場所で、しばらく風景に見とれてしまいました。
|
|
倪宅周辺は、こんな感じの住宅地で、このあたりをぶらぶらしていると、西塘の人々の生活のにおいを感じます。
|
|
|
雨がやんだ後は、こんな感じで、水路での洗い物をする主婦をよく見かけました。
|
|
また、雨が上がると、おそらくは市場が立つのだと思いますが、野菜や果物などを陳列する人たちが、一人二人とこのあたりに集まってきました。
|
|
焼香港周辺は、西塘に住まう人々の生活の匂いや息遣いまで感じることのできるエリアです。遠く清の時代の生活ぶりなどにも思いをいたすことができる雰囲気のある街です。
目的もなく、ブラブラと散歩しているだけで、何か心が満たされてしまうような、そんな暖かい雰囲気を持ったエリアでした。
|