広州という街は、清の時代の中国における海外への玄関でした。沙面には旧租界の建物が沢山残っていて、上海の外灘ほどではないにせよ、十分にノスタルジーを感じさせるエリアになっています。 石室と呼ばれるこの教会も、また、広州が当時の中国にとって海外への玄関だったことを示す重要な建物です。この石室は、アロー号戦争(清と英仏連合軍との戦争で、アヘン戦争に続いて起こったもので、第2次アヘン戦争とも言われています。連合軍は北京の間近まで迫り、1860年の北京条約の締結をもって終結しました。この北京条約の中において、香港の九龍半島がイギリスに割譲されています。)後の1863年に、中国国内でのカトリック布教の拠点として、フランスにより、建設されたものです。 |
立派な教会です。フランスが、パリのノートルダム寺院を模して、建設しただけのことはあります。 正式名称は、聖心堂大聖堂といいます。建物が花崗岩で作られたため、地元の人々には「石室」という名前で呼ばれていますし、道路の案内も「石室」という表示になっています。この日はあいにく中に入れなかったのですが、建物内の装飾やステンドグラスも、素晴らしいものだと聞いています。 |
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