盤門の見どころ |
蘇州城は、紀元前508年に呉王闔閭(こうりょ)が城を築いたのがその始まりです。設計したのは、伍子胥(ごししょ)であるとされています。当時、伍子胥が蘇州に作った城門の中で、今でも残っているのはこの盤門だけです。 蘇州では何と言っても拙政園や留園など蘇州古典園林が有名ですが、これらの庭園は明や清の時代のものです。一方、蘇州には、呉越時代の呉の国に由来する見所もあります。その中で特に有名な場所がこの盤門と虎丘です。盤門周辺は盤門風景区として整備されていて、ゆったり回れば2時間でも3時間でも楽しめるエリアになっています。私は、夕方暗くなる前の1時間くらいで回りましたが、やはり2時間はかけてゆったりと楽しみたいところです。 盤門風景区の見所は大きく分けて次の3つでしょう。 ①瑞光搭(上の写真)とその周りの池や建物群 ②盤門と呉門橋など盤門周辺 ③伍子胥(ごししょ)祠 順に紹介します。 |
瑞光搭とその周りの池や建物群 |
まず、瑞光搭(上の写真)とその周りの池や建物群の紹介から入りましょう。 瑞光搭周辺は、かつての蘇州の水郷風景を再現するかのように整備されていて、造られた美しさではありますが、気持ちの良い風景が広がっています。この僧侶の坐像は、一番上の写真の瑞光搭の手前にある建物の前に見える小さな像ですが、このように池に向かって座っています。兵士たちを集め、禅僧が説教をしているところのようですが、これはもちろん呉の時代ではなく、宋の時代の話だそうです。 |
上の僧侶の像の辺りから見た盤門風景区の様子です。正面に見える三層の建物が麗景楼という建物で、麗景楼からは池越しに瑞光搭を見ることができます。こちらから見ても、池と柳の緑がとても綺麗な場所です。 |
鐘楼にある鐘です。立派な鐘です。鐘楼の鐘は、清の時代くらいまでは、住民に時刻を知らせる鐘として使われていたものです。 |
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池の反対側にある麗景楼です。三階建ての建物で、どっしりした構えです。屋根の跳ね上がり方が優雅であり、また力強さを感じさせます。この麗景楼の二階あたりで瑞光搭を見ながらの宴会などが夜な夜な開かれたのでしょう。二階には、立派な陽台(ベランダ)があって、池越しに正面に瑞光搭を見ることができます。 このページの一番上の瑞光搭の写真は、ここ麗景楼手前の平台(池に隣接した建物の前に設置された平らな台で、通常眺めが最も良い所に設置される。)から撮ったものです。 |
麗景楼の左手から瑞光搭を見たところです。瑞光搭は、三国時代に呉の孫権が母の恩に報いるために禅寺を建立した際に、建設されたものだそうです。三国志で読むと、孫権は母に頭が上がらなかったようですが、別の言い方をすれば、大変尊敬していたのだと思います。 現存している瑞光搭は、北宋の時代である1004年に再建されたもので、七層、高さ53.57m、八角形の仏塔です。レンガと木で建てられています。 美しいスタイル、色で、この盤門風景区の中では、どこからでもよく見えますが、私はここから見た瑞光搭が好きですね。 |
今、瑞光搭を見たところから、瑞光搭に向かって池に沿って続く回廊です。右側に池が見えます。回廊を曲がりくねって作るのが中国江南庭園風です。 もともと江南庭園で回廊をまっすぐに作らない理由は、大きく分けて二つあるといわれています。一つは、回廊を渡る人が庭を見る人が角度を変えて庭園を見ることになるので、庭園の景色に変化を見せることができること、二つ目は、回廊に囲まれた小庭園をいくつも造って、その小庭園自体に変化をつけることといわれています。 ここ盤門風景区の回廊に関して言えば、確かに庭園と池越しに見える瑞光搭や麗景楼等の建物や風にたなびく柳の情景が、回廊から見ているだけでも変化に富んでいて、目を楽しませてくれています。 蘇州の庭園については、拙政園、留園、滄浪亭などを紹介していますので、そちらをご覧ください。 |
池の中を泳ぐ鯉です。色とりどりで綺麗です。 一般的に、中国の人は日本人以上に観魚が好きなようです。池に鯉を見ると、大人から子供まで群がって餌をまきます。そのせいか、中国観光地の鯉は立派に育っています。縁起担ぎか何かあるのでしょうか。今度、友人の中国人に聞いてみたいと思います。 |
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盤門と呉門橋など盤門周辺 |
ここからは、盤門や呉門橋など門周辺の紹介に入ります。 とは言っても、私もこの日時間がなくて急いでいたこともあって盤門それ自体の写真を撮るのを忘れてしまいました。盤門は2つの水門、2つの陸門、これに小城郭、城楼と両側の城壁から組み合わせから成り立っている門で、蘇州では一般的だった水陸の城門を唯一現存させている城門です。呉越戦争では、呉越が水陸両軍で戦っていますし、三国志などを読んでも、孫権の水軍が強かったりして、江南地域では水陸両軍で戦っていますよね。 上の写真は盤門の上に建っている城楼で、手前の塀が盤門の城壁です。 |
盤門の上に据えられた大砲です。これは、もちろん、呉越戦争や三国志の時代にはありませんでした。 |
こちらは投石器です。投石機は三国志でもよく出てくる兵器で、攻城戦で攻める側も使います。「とうせきき」には「投石器」と「投石機」があって、これが日本語では字によって使い分けられています。 「投石器」は手が投げられるくらいの石を飛ばす機械で、弓矢と同じくらいの飛距離を持つといわれています。ここの兵士や馬を狙うもので、守りに使います。「投石機」は人間では投げられないような重い石を投げる機械で、攻める側が城壁を崩すことなどに使います。 この盤門にあるのは投石器で、攻めて来る敵に対して一度にいくつもの石を投げつけ、敵に損害を与えてたじろがせる機械の方だと思います。 |
ここは城門の上です。この機械で水門を開けるのだと思います。下が水門になっていました。水門を上に持ち上げる機械です。 |
城壁の上から見た呉門橋です。本当は呉門橋の先から呉門橋越しに盤門を見たかったのですが、時間が足りず下まで降りませんでしたので、紹介できるのはこの写真だけです。 呉門橋は北宋時代の1084年に建造されていて、蘇州市内に残る石橋の中では最も古いものといわれています。橋の長さは66.3m、幅の4.8mです。呉門橋は下を船が通れるように、城楼や瑞光搭の眺めが良いと言われています。呉門橋は、盤門三景の一つになっています。橋自体が美しいというよりも、橋の上から見る盤門や橋越しに見える盤門の景色が良いのだと思います。 |
城門の上には呉の旗が立てられています。観光地ですね。 |
城門から見た城内風景です。白壁が多く、蘇州らしい眺めです。 |
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伍子胥(ごししょ)祠 |
ここからは、呉越時代の悲劇の英雄というか、悪役というか、あの伍子胥(ごししょ)の祠について紹介します。写真は伍子胥祠の入口です。伍子胥は伍相と言われています。 日本では、三国志は大変な人気を集めているものの、呉越戦争については、一部のマニアを除いてはあまり人気がありません。呉越戦争は中国の「史記」で描かれていて、「臥薪嘗胆」や「会稽の恥」といった日本でも使われている有名な熟語が生まれた戦争です。紀元前480年前後に発生しています。 小説などで呉越戦争の時代を読んでみると、「孫子の兵法」で有名な孫子なども出てきますが、登場人物がそれほど多くないので、分かりやすい内容です。呉王夫差(ふさ)と越王勾践(こうせん)の復讐に次ぐ復讐の戦い、呉の伍子胥と越の范蠡(はんれい)が巡らす権謀術策、中国四大美女、西施(せいし)の色仕掛けと、これまた分かりやすい内容で、なかなか面白い展開です。 呉越戦争の歴史については、紹興にある「越王殿」で絵に描かれています。興味のある方はぜひ行かれたら良いと思います。 |
写真は伍子胥祠の中です。太湖石なども設置されて、狭いけれども整斉とした中庭です。 冒頭記載したとおり、蘇州城の歴史は、紀元前508年に呉王闔閭(こうりょ)の命により伍子胥(ごししょ)が設計したことに始まります。その後、一時孫権が都を置いたりして蘇州は発展してきたのですが、今日の蘇州発展の原点は伍子胥の城作りにあったということもできます。その伍子胥の作った当時の門のうち唯一残っている盤門に、伍子胥の祠があるのもそうした理由だろうと思います。 |
伍子胥祠に飾られている銅製の絵です。呉越戦争を描いたものでしょう。 紀元前494年、呉王夫差が会稽(現在の紹興)で越王の勾践(こうせん)を破ったときに、伍子胥は越王勾践(こうせん)の降伏を認めず一族を根絶やしにすることを呉王夫差に進言します。しかし、呉王夫差はその進言を拒否し、その後、越の范蠡(はんれい)の策略により、呉の経済の破綻(范蠡が呉に送り込んだ西施が呉王夫差に大量の無駄遣いをせびった)や伍子胥の失脚(デマを飛ばして呉王夫差から自刃を命じられた)といったことを経て、とうとう紀元前473年に呉は越に滅ぼされることになるわけです。 伍子胥が自刃したのが紀元前484年です。その2年後の紀元前482年に、越は突然呉に反旗を翻し、挙兵しています。まさに伍子胥を亡き者にしたからこそできた挙兵でした。逆に言えば、伍子胥さえ生きていれば、呉は越に滅ぼされることはなく、大きく飛躍して考えれば、今の蘇州はもっと繁栄していたのかもしれません。 |
伍子胥が悪役とみなされる原因となったのは、呉王闔閭(こうりょ)が隣国の斉を破ったときに、伍子胥の父の敵である前の斉王の死骸を墓から暴き出し、屍に300回鞭打ったことが挙げられます。「屍に鞭打つ」ということわざがありますが、この語源はこの伍子胥の行為から来ています。 そんなひどいこともした伍子胥ではありますが、蘇州では、建国の父であるかのように崇められています。上の掛け軸など、そんな蘇州の人々の心が感じられるものです。 |
伍子胥祠にある伍子胥像です。善良そうな顔をしてますね。やはり蘇州では伍子胥は悪役ではなく英雄なのです。かたや越の国、紹興の越王殿に行ったりすると、伍子胥は完全に悪役顔になっています。 やはり、蘇州は呉の国だとつくづく感じます。 |
最後に、もう一度瑞光搭です。素晴らしい搭ですね。 時間は5時半、実は閉門の時間です。瑞光搭とはまばゆいばかりの光の搭という意味ですが、夕方になって少し灯りが灯されてくると、ますます美しさ・妖しさを増してきます。 盤門風景区についてはもう少しゆっくりと見てみたかったという気がします。 |
呉越戦争を小説で読んでみましょう!呉越舷舷 |
『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』『会稽(かいけい)の恥』などの故事成語を現在に伝える呉越の抗争劇を描いた傑作です。作者の塚本青史は、中国歴史小説を得意としており、このほかにも三国時代や漢の時代など、中国の様々な時代を背景とした小説を書いています。 この作品では、伍子胥、范蠡といった呉越の策士達が繰り広げる壮烈な歴史物語に、中国絶世の美女、西施やあの孔子も物語りに絡め、独自の味付けをしているところはさすがです。伍子胥は自ら首をはねるにあたって、「自分の墓の上に梓の木を植えよ、それを以って(夫差の)棺桶が作れるように。自分の目をくりぬいて東南(越の方向)の城門の上に置け。越が呉を滅ぼすのを見られるように」と言ったとされています。この小説を読めば、呉越戦争がよく分かります。 |
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