蘇州の忠王府とは |
太平天国の乱は、清の時代の1851年に起こった大規模な反乱で、1864年に終結しています。日本の明治維新が1867年ですから、ちょうどその頃、中国で起こっていた内乱です。太平天国の「乱」といわれるので、太平天国という国そのものが賊のように聞こえますが、むしろ清を倒すための革命として位置づけたほうが分かりやすいと思います。初期の太平天国軍は大変統制が取れていた軍ですし、住民を略奪・蹂躙することもなかったので、当時は民衆の支持を得ていましたし、現在の中国でも概ね好意的にとらえられているようです。 太平天国は1851年に江西省に興り、南京(太平天国では天京と呼んだ。)に首府を置いたのが1853年です。清がアヘン戦争でイギリスと戦ったのが1840年ですから、清が弱体化していた時期に太平天国が起こったということになります。江南地区の攻略を進めていた忠王の李秀成により、蘇州は1860年に陥落し、そのころは既に清に加担していた欧米列強(上海に拠点を置いていました。)とも太平天国軍が戦いを進めるための拠点となっていました。その蘇州の太平天国の本部となっていたのが忠王府です。 |
忠王府は蘇州博物館の付属施設のようになっていて、蘇州博物館から入ります。敷地は、蘇州博物館、忠王府、拙政園の順に並んでいます。忠王府の土地は、もともとは拙政園の敷地だったようです。 写真は蘇州博物館の入口です。忠王府に行くには、この蘇州博物館入口から入ります。この道を先に進むと、忠王府(但し、入口はありません。)と拙政園があります。 |
蘇州博物館には、蘇州周辺で発掘された宝物や陶器類などの展示のほか、現代中国作家のギャラリー等があります。大変モダンな建物です。 |
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忠王府で太平天国を知る |
忠王府の入口です。忠王府には、蘇州博物館のチケットで入れます。 |
太平天国はキリスト教を信仰する国です。洪秀全は、太平天国の建国に当たり、キリスト教的理想を掲げ、地上の天国を作り出そうとしたとされ、「人は神の前に平等であり、皆兄弟姉妹である」という天下一家的な思想が根底に流れています。但し、太平天国を建国した洪秀全をキリストの弟として位置づけているところが決定的に異なります。 初期の太平天国は、キリスト教に忠実であろうとつとめています。写真は忠王府にある礼拝堂(教会)です。一方、太平天国は、儒教の書を積極的に廃棄しています。後の魯迅も指摘していますが、儒教こそが中国に支配者階級を生み出し、本来平等であるはずの人を支配者階級・被支配者階級に分けてしまう諸悪の根源とみなしていたわけです。太平天国は10数年で幕を閉じますが、その考え方は、後の中華民国建設にも引き継がれていったということになります。 |
太平天国の礼拝堂の様子です。忠王府に集まる兵士たちは、カラフルなシルクの服装で集合し礼拝に参加していたそうです。 |
忠王府の軍事会議室です。中央の黄金の椅子に忠王李秀成が座り、年間の軍事計画を重臣たちと討議した場所です。 |
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忠王李秀成の胸像です。李秀成は、太平天国軍が江南地域侵攻の立役者であり、南京(天京)、蘇州、杭州といった清朝の城を、得意のトンネルを掘る作戦で次々と陥落させています。また、天主洪秀全の死後も太平天国軍の指揮官として最後まで清軍と戦いましたが、1864年天京陥落時に処刑され、41歳の生涯を閉じています。この天京陥落が太平天国の終焉でもありました。 |
忠王府に展示されている大砲です。太平天国軍は近代化された軍隊で、清の軍隊が欧米の協力を得て近代化されたのも、太平天国軍の近代化に対抗するためでした。いわゆる洋務運動(欧米の科学技術を導入することで清の国力増強を図ることを意図した運動)が清に起こったのも、アヘン戦争の敗北ばかりでなく、太平天国の台頭が背景にあったわけです。 |
忠王府の中です。 忠王府は、礼拝堂を除けば、建物、装飾ともに至って質素であり、太平天国という国の性格を垣間見せています。 |
忠王府内部です。木彫りの装飾などはされているものの、装飾は地味で、どこにでもある建物です。太平天国軍の本部としては、やはり質素といわざるを得ません。 |
窓や椅子などの調度品も質素ですね。蘇州で留園、拙政園や滄浪亭といった庭園内の装飾ばかり見てきた者にとっては,なおさら質素に写ります。 忠王府は、他のスポットに比較すると観光客は本当に少ないのですが、日本ではその実態があまり知られていない太平天国という一つの革命の一コマに触れることができるスポットです。ぜひ、一度足を運ばれることをおすすめします。 |
太平天国を小説で読んでみましょう!「太平天国〈1〉」 (講談社文庫) |
アヘン戦争から7年後、洪秀全がキリストの弟と称し、信仰と理想に燃えて太平天国という「国」を樹立した時から、その勢力拡大期を経て、1864年の終焉までを描く大作です。作者は陳舜臣 ですから、大変読みやすく、また、展開力のある構成で、息つく暇なく一気に読み終えてしまいます。どこまでが史実でどこからがフィクションなのかはよく分かりませんが、清朝末期の世情や民衆の生活などこの革命の背景がよく描かれています。この小説で私は太平天国に強い興味が沸きました。 |
太平天国〈1〉(講談社文庫) 太平天国〈2〉 (講談社文庫) |
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