退思園の歴史と由来 |
退思園は、西暦1885-1887年、清の光緒時代に造られた庭園で、蘇州からバスで30分ほどの距離にある同里という古鎮にあります。 退思園を造った任蘭生も清朝に勤めた役人で、園名の「退思」は『春秋左氏伝』(中国の春秋時代<紀元前750年から500年頃>の歴史を解説した書で、春秋学も生まれた)にある「進思尽忠,退思補過」に(官として仕える場合は誠心誠意を尽くして皇帝に奉仕し、また官から退く場合は過去を反省し過ちを補う)に由来しているとされています。 同僚の讒言により官を追われた任蘭生が、隠者の道を選び、故郷の同里に庭園を造ったのが退思園です。隠者とは、決して世捨て人になるのではなく、中央の政治から身を隠しつつも、心と目を今の社会に向け、時節が来ればまた再起をしようという熱い志を胸に秘めている人のことです。実際に、任蘭生は退思園完成後の2年後に、また、役人に復職したそうです。 |
退思園は、庭園兼邸宅です。いわゆる私家庭園と言われるものです。その敷地面積は約6500㎡と庭園としてはさほど広くはないのですが、閑静で簡素で、そして池を中心に建築物が無駄なく配置されているのが印象的です。 中国の庭園専門家は、退思園を「貼水園」(水に貼りつく庭園)と呼んでいますが、上の写真などを見ると、確かに池の水面が高く、建物が池の水に貼りつくように建てられていることが分かります。池周辺の景は、他の蘇州古典園林のどの庭園であっても、この退思園の景に勝るものはないと、私は思います。 退思園は2001年に世界文化遺産に選定されていますが、特に「貼水園」としての池の景が高く評価されたそうです。 |
退思園の特徴としては、「貼水園」という一面と、もう一つ、清代の庭園らしく「立体的な庭園」であることを挙げたいと私は思います。 清代に作られた庭園では、一般的に敷地面積が狭いなかで、建物を二階建てにしたりしながら、見る高さを変えて庭の変化をつけようとしている庭園が多く見られます。蘇州の耦園、揚州の个園や何園がその典型的な例ですが、退思園も同様です。 このページでは、退思園がある同里古鎮への行き方や同里古鎮の概要などを紹介し、次ページ以降で、退思園の中を紹介していきます。 同里古鎮への行き方や同里古鎮の概要などを飛ばして、退思園の中の紹介をすぐにご覧になりたい方はこちらをクリックしてください。 |
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同里への行き方 |
退思園のある同里の街は、蘇州から18km離れた江蘇省呉江市にあります。いわゆる水郷古鎮といって、かつて中国江南地域に数多く誕生した水郷の古い街並みが残る「同里古鎮」にあります。 同里の交通の玄関は上の写真の「同里汽車客運駅(同里自動車乗客輸送駅)」です。このバス駅から退思園がある同里古鎮までは歩いて10分くらいです。上海からもバスはありますが、最も便利なのは蘇州から同里行きの乗合バスで行くことです。 |
同里まで行くバスは、蘇州からですと蘇州駅(蘇州火車站)と蘇州南站から出ていますが、上の写真にあるようにわずか8元で行くことができます。蘇州駅(蘇州火車站)からの方が15分おきに出ているので圧倒的に便利です。 蘇州市内は再開発でどんどん変化し、バスのルートやターミナルもそれに伴いよく変更されますので、必ず最新の情報をインターネット等で調査したうえで計画を立てたほうが無難です。 |
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同里古鎮 |
同里古鎮はかつては「富土」(「ふじ」ではなく「富む土」です)と呼ばれていましたが、宋代に「富土」という字を上下に重ね、上の点を消して二文字に分解することで「同里」と改名し、今日に至っています。太湖と京杭大運河に近く、水運の便に恵まれていたことから発展しまさに富む街でしたので、名前を変えてその富が目立たないようにしようという試みだったといわれています。 水郷古鎮、同里の特徴は、やはり運河と橋のある景色でしょう。 |
同里に数ある橋の中でも、最も人気が高いのが「三橋」で、太平橋、吉利橋、長慶橋を指します。同里には「走三橋」(三橋を歩く)といって、三橋を渡ると幸せになれるという言い伝えがあり、婚礼などの慶事には一族郎党で三橋を渡る習慣があるそうです。「太平橋を渡れば1年を健康に過ごすことができ、吉利橋を渡れば商売繁盛し、長慶橋を渡れば長生きできる」といわれ、太平橋、吉利橋、長慶橋の順に回って初めてご利益があると言い伝えられています。 上の写真は太平橋です。 三橋自体はそんなに立派なものではないのですが、「太平、吉利、長慶」のめでたい名前が素晴らしいです。当然私も「太平、吉利、長慶」の順に歩きました。 |
この三橋の真ん中で、地元のおじさんが魚を取らせています。長良川の鵜飼みたいなものです。 写真奥に見えるのが吉利橋ですが、ちょうどこの舟のあたりでもう一本の運河が左からT字型に交わり、その交わってくる運河に長慶橋が架かっています。そして、手前に太平橋があるという位置関係です。 |
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同里古鎮の目抜き通り、ということはお土産さんの通りなんですが、明清街です。中国キッチュな土産が大物から小物まで色々揃っていて、こうした店を冷やかすのも楽しいものです。 |
明清街を歩いていてよく見る食べ物は、状元蹄(豚肉の脚の醤油煮込み)です。状元は中国の高官の資格で、周荘はその状元を多く輩出していることで有名な古鎮です。その状元の数名が好んだ豚肉の脚の醤油煮込みだから、状元蹄と名づけられたのだと思います。 周荘名物の万三蹄(周荘古鎮出身の沈万三が好んだとされる豚肉の脚の醤油煮込み)みたいなものです。 |
同里は観光地化されてしまっていて、生活観が感じられるエリアが少なくなってきたのですが、それでも明清街のはずれには、上の写真のような点心店があったりして、何となく明か清の時代にタイムスリップしたような気分になります。 包子や小龍包、ワンタンなどに加え、牛肉麺などのラーメン類やチャーハンなども食べられます。どうせ同里で食べるなら、こんな店で食べたいものですね。 |
同里古鎮も、その中の名所ばかり歩いていると観光客だらけのテーマパークみたいなのですが、ちょっと道を外れると、上の写真や下の写真のような生活感ある古い街が顔を出してくれます。 同里古鎮に来たら、三橋を歩き、退思園を堪能し、明清街を闊歩した上で、少し周りの生活感ある昔の街並みを歩くと、思い出に残る街になります。 |
かつての中国の主たる交通手段であった水上交通の要衝に栄えた同里の街は、必要だからこそ無数の運河が走り、そして無数の橋が架かっているのです。そんな水郷古鎮の風情をぜひ楽しんでもらいたいと思います。 最近は、中国の水郷古鎮が日本でも少し人気が出てきたようですけど、ゆっくりと水郷古鎮を楽しむなら、西塘か周荘で一泊して、提灯でライトアップされた夜の風情と朝靄の中の静寂を楽しんでもらいたいと思います。(烏鎮はちょっと観光地化されすぎていて私はおすすめしません。)逆に、西塘や周荘は一泊してこそ、本当の良さが分かる水郷古鎮です。 一方同里は、夜や朝はそれなりに良いかもしれませんが、何と言っても最大の見所は次のページから紹介する退思園です。日帰りでも良いですから退思園にたっぷり時間を避けるくらいの余裕を持って訪れたい古鎮なのです。 |
古鎮でのこんな日常生活の風景には、懐かしさや驚きがあります。古鎮は決して観光地だけの古鎮ではなく、地元の人たちにとっては生活の場でもあるのです。 |
同里に来たら、名所ばかり目指して歩くのではなく、足の向くまま、気の向くまま、無計画に歩いてみましょう。何でもない街の日常風景に時々感動したりするものです。 |
そうこうしているうちに、退思園が近づいてきました。退思園近くの戯台のあたりの様子です。退思園が近づくと、観光地化された同里古鎮が顔を出します。中国の楽器を持ったおじさんが観光地気分を盛り上げてくれます。 |
退思園の隣にある戯台です。戯台はもともと地元の人たちが集い歌を歌ったり劇を見たりして交流する場です。ここまで来れば、退思園はすぐ隣です。 |
戯台の上では、観光に来た少女たちが記念写真を撮っているところでした。戯台の背景にあるのは、退思園の池の景です。 さあ、次のページから、いよいよ退思園の中に入ってみましょう。 |
このページの続きは 退思園(2)退思草堂と不繋舟 |
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