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退思園は貼水園|蘇州古典園林の魅力

(2010年5月1日以来)

退思園は貼水園|蘇州古典園林の魅力TONGLI

池周辺の景のポイント


 退思園は、邸宅と庭園が同一の敷地内にある、いわゆる私家庭園です。退思園に入るとまず邸宅部分になります。外来の一般客を通す「茶庁」と重要な客の接待や結婚式などに使用される「正庁」があり、その先に畹薌楼と名づけられた邸宅部分があります。上の写真は畹薌楼です。
 畹薌楼は二階が主人や家族の居宅部分で一階が使用人の居室になっています。湿気を考えれば二階の方が快適だからです。畹薌楼では、南北に向かいあった建物が屋根つきの廊下で結ばれていますので、4つの建物がカタカナの「ロ」の字型に並ぶような感じで、建物に囲まれた部分が西洋のコートヤードのような感じです。南北にある二つの建物は季節によって使い分けられていたようで、暑いときには北側の部屋を使用し、逆に陽射しが欲しい季節には南側の建物を使ったようです。
 さて、畹薌楼の紹介は別のページに譲り、ここでは池に急ぎましょう。


 畹薌楼から円洞門を抜けると、そこには退思園ご自慢の池の景が広がります。それほど広い池ではないのですが、見所がたくさんあります。池の周りをゆっくりと歩き、時には立ち止まって見渡せば、お気に入りの景色が幾つも見つかるはずです。
 拙政園のように広い庭園ですと、こんな風に止まっては周囲を見て、また止まっては周囲を見て、という鑑賞の仕方はできません。と言うよりも、そんなことをしていたら時間がいくらあっても足りませんし、立ち止まったところで何が発見されるわけでもありません。拙政園のように広い庭園では、むしろ、歩きながら、動きながら、景を楽しむ庭園なのだと思います。
 一方、この退思園では、拙政園のようにぐるっと回ってくるだけなら、すぐに観光は終わってしまい、庭主が用意した様々な工夫を見落としてしまうというもったいない観光になってしまうのです。
 退思園をゆっくりと鑑賞する。その気持ちで、退思園を紹介していきます。


 池周辺の主要な建物を紹介しましょう。
 上の写真の左側にある平台を持つ建物が退思草堂という建物で、庭園部分での中心となる建物です。平台からは池全体が見渡せ、眺めが良いのですが、この平台からの眺めが最も良いというわけでは決してありません。
 写真奥に見える平屋建ての建物は菰雨生涼軒と名づけられ、その右に少しだけ見えている二階建ての廊下のような建物は天橋と呼ばれています。


 上の写真では菰雨生涼軒と天橋から右側を写しています。天橋の微妙な曲線美も見ることができますが、最も目立つのは池に突き出るように建てられている建物です。この建物は閙紅一舸と名づけられ、いわゆる不繋舟といわれる建物です。
 不繋舟は、画舫(がぼう=屋形船)とか石舫とか呼ばれることもありますが、舟をイメージした建物で、中国庭園には欠かせないものです。神仙蓬莱思想の中の「始皇帝と徐福の不老不死の薬」の話から来ているようです。すなわち、秦の始皇帝の政治が厳格すぎたため、これから逃れようとする山東の学者である徐福が始皇帝に取り入り、仙人探し、不老不死の薬探しのため、始皇帝に大きな船を建造させ、秦の国から逃げたという徐福伝説に端を発し、桃源郷への航海をイメージさせるものなのです。


 退思園の池周辺の景で見逃せないのは回廊の美しさです。回廊の美しい庭園というと、私は蘇州の滄浪亭を思い出すのですが、滄浪亭の回廊の曲線美に劣らない美しさを、ここ退思園の回廊は感じさせてくれます。退思草堂の平台に立ち、不繋舟の閙紅一舸から長く続く回廊を池越しに見ると、上の写真のようになります。



退思草堂


 退思草堂は退思園の庭園部分の中心的な建物ですから、いわゆる応接室みたいなところかと思っていましたが、むしろ主人の書斎的な建物です。既に紹介したとおり平台がついていて、池全体を見渡すことができますが、まさに主人がリラックスする場所として造られたのだと思います。この平台では時々歌や演劇が催されたようで、その時は、池の向かいの閙紅一舸や回廊、さらには天橋からステージを見ていたのだと想像されます。(因みに、平台は英語では「stage」と訳されることもあります。)


 平台から見た閙紅一舸と天橋方面です。池に突き出している閙紅一舸が印象的です。


 そして、視線を右に向ければ、閙紅一舸から回廊が続きます。回廊のなだらかな曲線が見事と言うしかありません。心が和む風景で、退思園の中でも私の好きな風景の一つです。



閙紅一舸(不繋舟)


 閙紅一舸と左手前に退思草堂、そして、その間の奥に攬勝閣が見えます。これもまた、風情ある景色です。
 攬勝閣の二階からは、退思園で私が最も気に入っている眺めを楽しむことができますが、そのあたりは「退思園(4)回廊から攬勝閣へ」で紹介します。
 さきほど、閙紅一舸については不繋舟と呼ばれるもので、神仙蓬莱思想から来ている旨の話を書きましたが、庭園に客人を案内したときには、不繋舟(画舫)がまさに桃源郷へと主人と客人を運んでくれる船ですので、その建物内で接待ができるように建物を造ることが多いようなのですが、ここ退思園の閙紅一舸は、そうした立派な建物ではありません。
 しかしながら、池周辺のどこから見ても池に突き出すように、また、池の上に建てられた閙紅一舸は池周辺の景のアクセントになっています。そういう意味では、閙紅一舸の平台から見る景色よりは、閙紅一舸を入れた退思園の池の景の方が風情を感じさせると私は思います。


 閙紅一舸の横にある太湖石のオブジェ。大きくはないですが、趣味の良い形です。
 太湖石の奥には回廊があって、回廊の花窓には字が一字入っています。この字は、すべて合わせると「清風明月不須一銭買」(すがすがしい風と美しい月を買うのにお金は要らない」という句になるそうで、退思園の名前の由来である「進思尽忠,退思補過」(官として仕える場合は誠心誠意を尽くして皇帝に奉仕し、また官から退く場合は過去を反省し過ちを補う)の胸中が見えるような気がします。


 閙紅一舸の窓です。中国的ではありますが、彫刻がモダンでもあります。


 閙紅一舸の平台から見た退思草堂です。目の前に退思草堂があるという位置関係です。退思草堂の平台で歌や戯曲を演じたときは、閙紅一舸が特等席になるわけです。


 同じく閙紅一舸の平台から見る天橋とその左の菰雨生涼軒です。
 清代の中国庭園は、明代とは異なり敷地が狭くなる分、立体的な視点から庭園を楽しむという設計思想があって、天橋などはその典型です。
 このページでは地表レベル(一階部分)からの退思園の池の景を紹介してきましたが、そろそろ清代の庭の特徴である二回からの景を見るために、天橋に向かってみましょう。


 閙紅一舸から見た眠雲亭です。位置関係からすると、右から天橋、菰雨生涼軒と続いて、眠雲亭から退思草堂という並びになります。眠雲亭は太湖石の築山の上に建てられていて、この場所も立体的な視点から庭園を楽しむスポットです。
 次のページで、天橋と眠雲亭を紹介しましょう。


このページの続きは  退思園(3)眠雲亭と天橋