拙政園の中園を巡る……中園見学の起点は遠香堂
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拙政園見学の起点は遠香堂です。上の写真は、池の小島の山に建つ雪香雲尉亭から見た遠香堂です。なぜ、ここが拙政園見学の起点なのでしょうか。
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もともと拙政園の入口は、中園の遠香堂の南にありました。今は出口として使われているところに入口があって、建物を抜けると大きな岩山があり、その岩山を越え、橋を渡ると遠香堂です。建物や通路を抜けて最初に見せる拙政園の姿が遠香堂だったようです。
現在でも、当時の入口は保存されていて、玄関から岩山の前に出た瞬間が再現されています。岩山の左側から岩山を登る階段がつけられていて、その階段の向こうに遠香堂の姿をわずかながら見ることができます。
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岩山の上から見る遠香堂です。四面をガラスに覆われた見通しの良い建物であることが分かります。
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岩山から遠香堂を見たときに目に入ってくる屋根の上の彫刻です。年季の入った瓦ともども、歴史と風格を感じさせます。
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その昔、拙政園に案内された人が、大堂から岩山を越えて拙政園を初めて目にする光景が、上の写真です。小川が流れ、橋の向こうに見える建物が遠香堂です。庭の設計者である王献臣は、客人に自分の庭を案内するに当たって、まず、この遠香堂に入り、起点としたわけです。私が遠香堂を起点に中園を見学すべきという考え方は、こうした庭園設計のコンセプトから来ているものです。
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中園の遠香堂は、四周が見えるようにガラスが多用されている建物です。
これも、今もかつて(拙政園を造った王献臣は、かつては明朝の御史の地位にあったが、上司や同僚の讒言などにより左遷されてしまい、とうとう退官し蘇州に拙政園を造った。そういう意味では、かつて国づくりの中心を担っていた政府高官であった。)と同じように周りが見えるようにしているという意思表示とも受け取れますし、社会に対して今後とも鋭い視線を向けていくとの王献臣の姿勢を表しているのだという人もいます。
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遠香堂の内部です。ガラス張りの窓ですから、大変明るいですね。窓ガラスが花窓のデザインになっていて、一つひとつの窓が額縁のように外の景観を見せています。大変に凝った造りだと思います。
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設置されている家具もどっしりした中国家具です。蘇州の他の庭園を見ても、これほど立派な家具を置いているところはありませんし、また、拙政園の中の建物内でもこの遠香堂よりも立派な家具は見当たりません。それだけ、王献臣が気に入っていた建物であり、また、客人を最も案内する機会が多かった建物であったのだろうと考えられます。
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回廊の多い拙政園ですが、上の写真の通り、この遠香堂には回廊がつながっていません。一説では、庭の設計者であり所有者であった王献臣は、官界に失望し蘇州に身を引いた自分の境遇をこの遠香堂に託し、孤高の精神を表わすために、あえて回廊を結ばなかったのだとされています。
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遠香堂前の平台(へいだい)です。平台というのは石でできた平らな台で、通常眺めが最も良い所に設置されます。この遠香堂前の平台は池に面して設置されていますので、蓮の花が咲く時期になると、蓮の芳しい香を感じながら、蓮の花を眺めることができます。庭の主人としては、夏こそ、この平台からの眺めを自慢したかったに違いありません。
池の向こうの築山にある建物は、雪香雲尉亭です。中園の池の中の小島がそのまま築山になっているものです。蓮の花が広がる夏は特に、ここからの眺めが良くなりそうです。
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平台から池越しに見る雪香雲尉亭と見山楼(左奥の建物)です。
蘇州にある他の庭園と比較しても、これだけ自然を多く取り込んでいる所はないと思います。蘇州の他の庭園では、特に網師園や芸圃などがその代表例ですが、むしろ小庭園で建物や山水にいろいろと変化をつけて見る人を楽しませる工夫が感じられます。これに対して拙政園では、自然の中に建物、回廊や橋などを溶け込ませています。
拙政園の魅力が、自然との融合、とりわけ山水の景観にあると言われるのは、このような他の蘇州庭園との比較からも来ています。
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平台から見る雪香雲尉亭です。山の上に建てられていて、後ほど、この雪香雲尉亭に行くと、当たり前ですが、遠香堂やその前の平台が見下ろせます。
その時に、見る人に何を感じさせてくれるのか、今から楽しみです。
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遠香堂から繍綺亭へ
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蘇州の名園、拙政園はとにかく広い庭園です。焦点を絞って回らないと時間もかかりますし、体力も持ちません。私は、拙政園見学のポイントとして、「中園を中心に見学する」「中園見学の起点は遠香堂」「遠香堂から枇杷園を抜けて、時計と反対周りに回る」といったことを挙げています。
この考え方に沿って、中園を回ってみましょう。
写真上の遠香堂がスタートです。なお、拙政園の中園の地図は、こちらをクリックすると新しいウインドウに開きます。
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遠香堂の前の平台です。平台というのは石でできた平らな台で、眺めの良い場所で主要な建物の前に作られます。夏は蓮の花が咲き乱れます。
この遠香堂の平台では、自分の記念写真を撮るばかりでなく、平台から見える様々な景色を見て楽しみ、思いを巡らせてみましょう。
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遠香堂の平台から池を挟んで正面に見えるのが、雪香雲尉亭です。島の少し高台に建てられています。池岸の石は、黄石で組み立てられています。美しい石組みです。獅子林や留園などでは、太湖石といって大きな穴だらけの石をメインに使用していますが、池や森といった自然と組み合わせるのであれば、黄石の方が落ち着いた雰囲気が感じられて私は好きです。
よくよく見ると、雪香雲尉亭のある対岸の島は二つに分かれていることが分かります。島をわざわざ二つに分けて築いたのは、その島の間を渓谷とみなし、あたかも、水源から湧き出た水が渓谷を抜け、遠香堂の前から拙政園全体の池や小川を満たしていくという生命感、躍動感を感じさせる仕掛けなのではないでしょうか。
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雪香雲尉亭から左に目を移せば、遠くに見山楼の優雅な姿が見え、荷風四面亭(写真右端)や西半亭(別有洞天)という西園への入口も見ることができます。
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さて、平台から時計と反対周りに回ってみましょう。王献臣も客人を案内するにあたって、ここから時計と反対周りに回ったと考えられるからです。
まず見えるのが小高い丘とその上の亭です。繍綺亭です。繍綺亭は沈む太陽を見ながら、あるいは、月を見ながら歓談する場所として使用されていました。月が他の建物の陰にならないように、少しだけですが高台に建てられています。
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繍綺亭は沈む太陽を見ながら、あるいは、月を見ながら歓談する場所として使用されていましたので、壁の少ない構造になっています。正面は西の方を向いています。西の方には、遠香堂などの建物や池が広がります。
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繍綺亭から見る遠香堂です。遠香堂の後ろには沢山の回廊が見えますが、遠香堂には繋がる回廊が全くなく、遠香堂に孤高の精神を表現させるために、あえて回廊を結ばなかったという説もうなづけるものがあります。
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繍綺亭から北を見てみます。
中園の池や梧竹幽居方面が見えます。この辺りが西陽に紅く染まり、あるいは、月の光に照らされて幻想的に見えるのでしょうね。
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繍綺亭の東側の空窓です。
「翠晩丹暁(青緑色の晩、朱色に染まる朝)」と書いてあります。空窓の先には木が茂っていて、この木々や葉が太陽や月の光に染まる様子を書いたものでしょう。
空窓は東に向いていますが、樹木で視界がありません。昇る朝日を楽しむ場所ではなかったようです。
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枇杷園
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繍綺亭の左に円洞門があって、この中は枇杷園と言われています。枇杷園は雲牆(うんしょう。雲の様にうねっている牆壁)に囲まれた人工的な空間で、自然の山水を楽しむ拙政園、特に中園の中にあって、異質な存在です。枇杷園という名は、この円洞門を入ってすぐにある枇杷の木から命名されたそうです。
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この円洞門からを入って、枇杷園の中から外を見ると、すなわち枇杷園から池の方を見ると、自然の明るさ、自然の生き生きとした姿が楽園のように見えてきます。
蘇州の庭園には、内庭(建物や壁に囲まれた庭)というものが必ずあるのですが、これだけ広い拙政園でも、内庭として造られているのは枇杷園だけだと言っても良いと思います。枇杷園には、拙政園の特長である「自然の山水」を引き立たせる役割を持たせているのではないか、などと設計者の意図を想像してしまいます。
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同じ円洞門からの写真ですが、ある時拙政園の掃除をしているおじさんが、最も絶景になるのはこの角度からですよと教えてくれました、円洞門の視野の中に石の端が入り込むような角度で見ると最も美しいというのです。
なるほど上の写真と比べても、はるかにこの角度からの眺めは素晴らしいと思います。
こんな新しい発見が、何度行っても拙政園にはあるのです。
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枇杷園の中にある嘉実亭です。手前に鋪地(ほち。日本でいう敷石です。)が敷き詰められた広いスペースがあって、鋪地の先に上の円洞門があります。
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嘉実亭です。窓が額縁の役割を果たし、窓越の風景を際立たせています。こんな細かい工夫があちらこちらに見えるのが、中国庭園の素晴らしさです。拙政園はその広さのあまり、観光客は庭主の細かな配慮に気づかないことがよくあります。ですから、拙政園を楽しむためには、走るように全体をくまなく歩くのではなく、中園を中心にじっくりと見るべきなのだと私は考えているのです。
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枇杷園の中にある玲瓏館です。建築物の多い枇杷園ではありますが、回廊が殆どで建物は大きなものがありません。最も大きな建物がこの玲瓏館です。
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玲瓏館の内部です。そんなに広くもないし、装飾も豪華ではないし、王献臣としては、左遷されて蘇州に来た自分の境遇も考え、簡素で最小限度の装飾性を持った建物を作ったということなのでしょうか。
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玲瓏館の裏手の海棠春塢に向かう回廊です。狭いスペースで回廊が二度曲がります。曲がる都度雰囲気が変わります。左側は玲瓏館、右側が海棠春塢で、正面は池になります。
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雲牆(うんしょう。雲の様にうねっている牆壁)に囲まれた枇杷園では、窓が大きな役割を果たします。正面の花窓からは池や東半亭付近の回廊を見ることができます。遠香堂から、池を横目に見ながら円洞門を抜け、枇杷園に入ると見えなくなっていた池が、この花窓から久しぶりに顔を見せてくれるという演出です。
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枇杷園にある海棠春塢の前庭です。中央にオブジェがあります。太湖石の左に竹が植えてありますが、右は何の木でしょうか。海棠の一品種なのでしょうか。海棠春塢の前庭は回廊と壁に囲まれた狭い空間なのですが、鋪地(日本でいう敷石)が敷き詰められ、このオブジェが中央に据えられています。簡素ですけれども、凛とした美しさが感じられます。
何か日本庭園に通じるかのような簡素な小庭園です。
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ここで、枇杷園の位置づけについて、設計者の心、所有者としてのもてなしの心で考えてみます。遠香堂では孤高の精神を示しながら自分の立場を威勢を張って見せていたものが、枇杷園では、建物、装飾、内庭、どれをとっても質素になっていています。これは、自分の置かれた境遇というものを示したかったのに違いありません。こうして客人に、自分の立場、自分の境遇を理解・共有化してもらうことが、この枇杷園の設計趣旨ではないでしょうか。
枇杷園を出ると、いよいよ拙政園の自然景観が始まります。
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海棠春塢の建物内にある中国琴です。埃をかぶっていてあまり見栄えがよろしくありませんが、この琴にしても質素な琴ですね。こんなことからも、上述した枇杷園の位置づけというのは、そんなに間違った解釈ではなさそうです。
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海棠春塢から中園の東半亭へと続く回廊です。ここも、地域的には枇杷園の中です。
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北寺搭の借景
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枇杷園を抜けて、中園に戻ってきました。中園の東半亭付近になります。拙政園の中園の池は東西に長く伸びていて、東の端に東半亭が、西の端に西半亭があります。
左の短い石橋は倚虹橋という明代に作られた石橋です。正面に見える円洞門を持った建物が梧竹幽居です。
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東半亭から見西半亭方面を見たところです。天気が良いと、上の写真のように、九層の北寺塔が見えます。これが「借景」といわれる技法で、庭の外にあるものを庭の景色の中に借りるという技法です。王献臣は拙政園を設計する際に、この北寺塔を「借景」として使うことを考え、その間を池にして木々で覆われないようにしたわけです。
北寺塔といえば、明の時代から、蘇州では最も賑わっていたエリアです。設計者である王献臣は、客人に対して北寺塔を見せることでその賑わいを想像させ、北寺塔との対比のなかで拙政園の静かさをより強調したかったのかも知れません。言い換えれば、世俗と仙境(別世界)という風に、対比をさせたかったのかも知れません。
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この「借景」は日本でも有名ですが、枇杷園を出てすぐの所から見るからこそ、特別な意味が出てくるのです。
枇杷園で自分の置かれた立場・境遇を見せた王献臣が、この北寺塔の借景を見せた後には、仙境としての拙政園を見せることになるのです。
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