西園の回廊と扇亭
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ここまで、拙政園の見学のポイントは中園を中心に回ることだということを書いてきました。拙政園〔1〕から〔5〕のなかで中園については紹介を終えましたので、このページでは西園と東園を紹介します。
西園のうち、回廊と扇亭、そして倒影楼に囲まれた一帯は、中園と同じような風格です。すなわち、山水の景を生かした庭園ということです。上の写真は中園と西園を区切る回廊沿いに広がる西園の池です。回廊が上下左右にくねくねしていることから波状回廊などとも呼ばれることがあります。
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波状回廊の先に見える建物が倒影楼です。中園の広々とした自然こそ感じられませんが、西園でもこの付近は繊細な神経で作られたという感じがします。
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扇亭です。正しくは、扇亭と傘亭です。
扇亭は、扇の形をモチーフにした建物で、建物も扇型ですし、空窓も扇型です。波状回廊とは池を挟んで対峙していますが、扇亭が上の写真のように見えるのは、そのうち、ある地点だけです。
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実は、前の写真で屋根のてっぺんにある扇の要のように見えるものは、扇亭の背後にある傘亭の屋根部分なのです。したがって、扇亭の屋根と傘亭の屋根が一直線になるところから見ないと、前の写真のような扇亭にならないということです。
なかなか凝ったつくりですし、遊び心を感じさせます。
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横から見ますと、左に扇亭、右の丘の上に傘亭が見えます。
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横から見た扇亭です。扇型のカーブの部分に腰掛けることができるようになっています。池の形状もこのカーブに合わせて横へと広がっています。
扇亭はこのように凝った設計になっているので、回廊から見るための建物のように思われがちですが、実はこの扇亭からの眺めがとても風情があって、私は好きです。川沿いの椅子に腰掛けて西園の波状回廊や倒影楼といったあたりを眺めるのです。実は、扇亭には、正しくは与誰同座軒という名前がつけられている通り、座って外を眺めるのに良い場所として建てられた亭なのです。
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扇亭(与誰同座軒)から見る波状回廊です。波状回廊は、ここから見ると、その上下左右への曲がり具合がよく分かります。
左に倒影楼が半分くらい写っています。倒影楼は建物の前の池に映る姿が美しいことからその名が付いたといわれています。
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鴛鴦館
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鴛鴦館は西園の中心的な建物です。宴会などにも使われた建物で、豪華なつくりとなっています。建物が一部池の上にかかって建てられているのも一つの特徴です。
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鴛鴦館(えんおうかん)は、いわゆる鴛鴦式の構造、すなわち、上の写真のように室内が南北に仕切られている構造になっています。北側を三十六鴛鴦館、南側を十八曼陀羅花館と呼びます。
拙政園のホームページを見ますと、北側の部屋が夏用として、南側の部屋が冬用として使われた旨の説明が記載されていますが、私の理解では、鴛鴦式の構造というのは、部屋が男女によって使い分けられていたとばかり思っていました。そもそも鴛鴦の「鴛(えん)」はオスのおしどりのことで、「鴦(おう)」はメスのおしどりのことです。ですから、鴛鴦館というのは室内が二つに仕切られていて、一方は男性に、もう一方は女性という使い分けをするものだとばかり考えていました。もっとも鴛鴦式の鍋といえば、鍋の中が仕切られていて二種類のスープ(例えば辛いスープと辛くないスープ)が楽しめる鍋をいうので、オス、メスという区別はなくなっていますが。
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北側の三十六鴛鴦館です。この曇りガラスが建物を南北に仕切る衝立の役割を果たしています。曇りガラス越しに、反対側の十八曼陀羅花館の置物や窓が少し見えます。
この鴛鴦館は、建物外部はそれほど豪華に見えませんが、中の調度品はなかなか見事なもので、ある意味、拙政園らしくない、こってりした内装です。
拙政園は王献臣が建てた後に、分割して譲渡されながら所有者が転々とし、西園の部分は清の時代に葉氏という豪商の手にわたったとされていますが、鴛鴦館などはこの葉氏の時代の修復により、この成り金趣味の建物に変身したのではないでしょうか。
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建物の四隅には、外気が直接建物内に入ってこないように、耳室といって、出入り口からUの字型に入るように工夫された部屋があります。この部屋は、宴会のときの歌手や役者などの控室に使われたとも言われています。
この建物などを見てしまうと、留園の鴛鴦館とまさに同じような感じで、豪華絢爛、悪い言い方をすれば成金趣味の建物といわざるを得ず、山水と遊ぶ拙政園の良さが全く感じられなくなってしまいます。乱暴な言い方ですが、かえってこの鴛鴦館などは見ずに拙政園を後にしたほうが、拙政園の個性がよく分かりますし、留園との違いも明確になります。
誤解されては困るのですが、私は、留園のような豪華絢爛な庭園は見るに値しないと申し上げているのではなく、豪華絢爛な庭園と心を感じる庭園とは、自ずと楽しみ方が違うということを申し上げているわけで、拙政園にも留園にもそれぞれの良さがあることは言うまでもありません。
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浮翠閣
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鴛鴦館を見下ろす丘の上に建つ、八角形の二階建て建物が浮翠閣です。適度に小ぶりで瀟洒なフォルムをしています。木々に覆われるとともに草が生い茂る中に建てられ、緑の中に浮かぶように見えることから、浮翠閣と名づけられたようです。
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浮翠閣からは鴛鴦館とその前に広がる池が一望でき、蓮の花が咲く頃にはさぞ美しい風景になるだろうと想像してしまいます。浮翠閣の前には一本の石筍が立っていて、アクセントになっています。
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浮翠閣の内部です。
この造り方からすると、おそらくは書房として使われたのではないかと思われます。山の上で静かに書物に読みふけることができたことでしょう。
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西園から中園に入る北側の円洞門です。円洞門の先に、左側に竹林、右側に池が広がり、その先が見山楼になります。見山楼を北側から眺めながらさらに直進すれば、やがて中園から東園へと入ります。
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東園
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東園は、中園と西園をあわせた面積より広くて、広々とした緑の公園といった雰囲気です。
上述の通り王献臣の死後、拙政園は分割されて譲渡されていますが、東園は真っ先に分割されて、中園や西園とは異なる歴史を辿りました。戦後に拙政園が蘇州市によって整備されたときも、まず、中園と西園が1956年に整備され公開されましたが、相当に荒廃していた東園については1959年の公開となっていて、しかも、当時の建物はいくつか残しているものの、現代風の公園にしてしまいました。
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東園の芙蓉榭です。「榭」というのは中国古来の建築方式の一つで、建物の半分は陸地歯分は水上に建てられています。通常、眺めの良いところに前が開けた形で建てられていて、「榭」と付いていれば、それは眺めの良いところと考えて良いと思います。
この芙蓉榭は、夏の蓮のシーズンに蓮の花を見たり蓮の花が開く音を聞いたりして楽しむ場所なのですが、残念ながら私は蓮の花のシーズンに拙政園を訪れたことはありません。
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芙蓉榭の中に設置された石です。石の向こう側の池沿いに腰掛があって、そこに座って談笑しながら蓮の花を観賞したのでしょう。
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拙政園の入口近くにある太湖石です。この太湖石の間を通って拙政園の遊覧が始まるのですが、何度も申し上げてきたように、私は、中園の遠香堂を目指して最短距離の道で東園を通過します。東園は現代風の公園で、歩いていても街の公園の散歩と変わりません。広い東園の散策で体力を消耗してしまって、中園を十分に回れないと心残りになります。
拙政園の見学は蘇州観光・蘇州旅行のハイライトです。ぜひ、皆さんも、このホームページの紹介にあるように中園にスポットを当てた拙政園めぐりを楽しんでみてください。 |