バイヨンはアンコールトムの中心にある仏教寺院です。アンコールトムのバイヨンと言えば、まず頭に浮かぶのは観世音菩薩の四面塔です。バイヨンの観世音菩薩の顔には、一つとして同じ表情のものはありません。光線の違いによっても表情を変える観世音菩薩の美しさ、荘厳さは、朝から晩まで眺めていても飽きないほどです。 |
第一回廊から見た観世音菩薩 |
アンコールトムのバイヨンと言えば、まず頭に浮かぶのは四面塔の観世音菩薩です。 バイヨンは12世紀末にジャヤバルマン7世によって建てられた仏教寺院です。観音菩薩は、人々の音(声)を観て(聞いて)、その苦悩から慈悲を持って救済する菩薩様ですので、人々の悩みに応じて千変万化の相となります。ここバイヨンにおいても、約200の観音菩薩がそれぞれどれ一つとして同じものの無い穏やかな微笑を見せています。 |
観世音菩薩を第一回廊から見たところです。今となっては、ごつごつとした岩山に観世音菩薩が描かれているような感じに見えますが、ここは仏教寺院ですから、建設当時は原色に彩られた仏塔の四面に穏やかな顔の観世音菩薩が浮かび上がっていたのだと思います。 バイヨンはジャヤバルマン7世の時代に建立されたことは既に書きましたが、この観世音菩薩の顔や表情もジャヤバルマン7世がモデルになっているとされています。 |
ジャヤバルマン7世はアンコール王朝の隆盛期を築いた王です。ジャヤバルマン7世は即位すると、チャンパ軍により荒らされたアンコールの都を修復します。西バライ、東バライで水利工事を行い、当時から主要産業だったコメの生産を強化し人々の生活を建て直すとともに、アンコールトムに城壁や濠を築き都の守りを固めました。これらは、いま私たちがアンコール遺跡で目にする古都アンコールの基盤です。そのうえで侵略を重ねるチャンパ軍を討ち、ついにはチャンパの首都を占領するに至ります。 そして、戦勝後に建てた様々な建物のうちの一つが仏教寺院バイヨンなのです。 |
バイヨンの地図については、飲食店内装見積.comに掲載してあるものを借用させていただいています。私が見た中では、これが一番わかりやすい地図です。 これで見ていただくと分かりますが、観世音菩薩(観音菩薩)の四面塔は中央祠堂の周りにあって、中央祠堂の周辺を歩くことで見て回れます。けれども、観世音菩薩は近くから見るだけではなく、第一回廊を巡りながら、ちょっと離れた場所から見上げるようにして見るのも決して悪くありません。バイヨンに行ったら、第一回廊を少なくとも一周して、レリーフだけでなくバイヨン寺院全体の威容を見るべきだというのが私のアドバイスです。 |
南側の第一回廊から中央祠堂方面を見ますと、こんな感じになります。日本人の目から見ると、寺院というよりも城か砦のように見えてしまいます。素晴らしい景観ですね。ですけど、中央祠堂周りの観世音菩薩周辺の混雑に比較すると、ここには観光客の姿はあまり見えません。 バイヨンに来た観光客のほとんどが、第一回廊ではレリーフをちょっと見て、すぐに中央祠堂の方へ登って行ってしまうからです。バイヨンの第一回廊はレリーフも素晴らしいし、景観も素晴らしいですよ。 |
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バイヨンの観世音菩薩 |
さて、第一回廊を回り、第二回廊を抜け中央祠堂のある内側に入ろうとすると、門の正面にもう観音菩薩が現れます。感動の瞬間です。 ここからですと、正面を向いた観音菩薩と右を向いた観音菩薩が目に入ります。いよいよ、バイヨンのハイライトの風景が始まります。 |
バイヨンの観音菩薩の顔には、一つとして同じ表情のものはありません。三つの観音菩薩を見ると、確かにそれぞれ表情が異なります。私は午前中にバイヨンに入りました。午前中の光線だとこのように見えます。しかし、これらの観音菩薩も見る角度を変えると、また表情を変えますし、同じ観音菩薩でも朝早くの光線や午後の光線、夕方の光線ですと、さらに表情が変わるのです。 上の写真のように3つの観音菩薩が並んでいると、その表情の違いは明らかです。 |
同じ表情のものが二つとないわけです。ここに来ると、とにかく、自分の好きな表情の観音菩薩を探すようになってしまいます。同じ観音菩薩でも角度によって表情が変わるし、太陽の輝きによっても表情が変わります。ですから、一回目とと二回目に見える観音菩薩が同じということではないのです。 |
もうお気づきかも知れませんが、このページの写真には違う日に撮られたものがあります。しかも曇った日と晴れた日です。当然ながら太陽の輝きが違います。そうすると、この観世音菩薩の四面塔も見え方が異なります。表情が変化するということです。 |
私の好きな観世音菩薩の表情です。穏やかで悟りを感じさせて、人の心をいたわるような優しさを私には感じさせます。 菩薩がある高さも影響していると思うのですが、やはり自分目の高さにあって自分と相対するような形で見える菩薩の表情が柔らかく見えるようです。 |
同じ観世音菩薩を斜めから見ると、やさしい表情がさらに強くなります。 |
上の私のお気に入りの観世音菩薩と右奥に見えるもう一つの観世音菩薩です。右奥の観世音菩薩も良い表情をしていると私は思います。 |
一つ上の写真で右奥に見えた観世音菩薩です。 修復が少し必要な感じですが、この観世音菩薩も表情が柔らかく見えます。 |
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中央祠堂の周りは、このように歩道がめぐらされていて、歩道を進みながら観世音菩薩を見て回ります。観世音菩薩があちこちに現れます。 |
ここなどは、正面が観世音菩薩だらけです。一つ一つのお顔を見ようと思っても、今見えているのは四面塔の正面にあるものだけですので、右や左や裏側の観世音菩薩を見ようとすると大変なのです。 |
観世音菩薩は仏塔の四面に彫られていますから、この辺りを歩いているだけではすべての菩薩様の表情を見ることはできません。第一回廊など周辺からしか表情が見えない菩薩様もあるわけです。また、角度的にどうしても見えづらい観音様もあって、注意深く見て歩かないと自分のお気に入りの観音様に出会えないかも知れません。と言うよりも、もっと自分が気に入る観音様が隠れているかもしれません。 |
そう考えると、あちらこちらで足を止めて周囲を見渡すということになります。するといろいろな発見があって、ここバイヨンの魅力にますます引き込まれてしまうのです。 例えば、この二つの観音菩薩は、左は「静」のイメージがして、右は「動」のイメージがするのですが、どう感じますか。口や目のあたりは明らかに違うので、その違いから観世音菩薩から受ける印象が変わってくるのです。こういうことをしていると、バイヨンにどれだけ長くいても飽きることはないのです。 |
そんな風に考えると、歩道が巡らされていない場所にある観世音菩薩も気になってきます。遠くに見える観世音菩薩まで一つひとつ見るようになってくると、見ないですまなくなってきます。見たい欲望に駆られてくるのです。 |
とは言っても、前にも書いた通り、この中央祠堂周辺からではどうしても見えない菩薩様もあるので、すべての観世音菩薩を見ることはできません。自分が満足するまで観世音菩薩を見ることになります。その時間は人によって違うと思いますが、この雰囲気に浸ろうと思えば30分は必要だろうと思います。私は1時間半くらいいましたが、要は自分が満足するまでじっくりと鑑賞したいスポットだということです。 |
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バイヨンのデバター |
バイヨン見学でさらに厄介なのは、中央祠堂の周りには観世音菩薩ばかりでなく、沢山の魅力的なデバターがあることです。厄介などという言葉は適切ではなくて、むしろ嬉しいことなのですが、例えば、あまり考えずに中央祠堂の周りを散策していると、観世音菩薩に気を取られて美しいデバターを見逃したり、またその逆になったり、ということがあるからです。 私が中央祠堂の周りを見るときは、今回は観世音菩薩を見るぞとか、今回はデバター中心に見るぞとか決めて、見て回ります。気持ちを集中させて何周も見て回るのです。そうしないと、何か見落としてしまいそうで心配になってしまうのです。 |
バイヨンのデバターは、第二回廊あたりから数が増えてきます。上の写真は中央祠堂の周りですが、デバターはこの中央祠堂周辺に集中しています。第一回廊にもかつては沢山あったのかも知れませんが、崩壊などにより、今ではあまり見かけることはありません。 |
デバターの横にあるのは、偽窓です。連子窓のように見えますが、実際には窓があいているわけではありません。飾りとして作られた偽の窓です。 そして、偽窓の下には、蓮の葉の上で踊るアプサラが見えます。 |
何人も並んで踊っているアプサラのうちの二つを拡大してみると、なるほど大胆で魅惑的なダンスを踊っているようです。特に右側の踊り子は保存状態も良く、表情も読み取れます。アンコールワットにはアプサラを描いたデバターも沢山ありましたが、ここバイヨンでは蓮の葉の上で踊るアプサラに限られています。 |
バイヨンのデバターで目立つのは、女官です。保存状態は決してよくありません。上の写真のデバターも足が破損しています。ポーズや表情は色々で、身に着けている装飾品なども違いますので、そんな点を中心に見ながら、デバターを見学します。 |
上のデバターは保存状態が比較的良好なものです。身に着けている装飾品や冠を見ると、地位の高い女官だろうと思われます。 ウエストがかなり細く、逆に骨盤の周りがかなり大きくなっています。この体のラインは、バイヨンのデバターにある程度共通しているものです。このスタイルが当時、美人と言われるための必須条件だったのではないでしょうか。 |
上の写真のように、兵士と並んでいる女官のデバターもあります。 |
デバターの曲線美には時々目を奪われます。バイヨンが建立されたのが12世紀末、アンコールワットが建設されたのがそれよりも早い12世紀の半ばです。そのころの日本では1192年に源頼朝が鎌倉幕府を作った時代です。その時代にこのような文化がクメールに生まれていたというのは、実に驚きです。 デバターの周りの建物装飾も見事ですね。 |
上の写真は第一回廊に残っているデバター。第一回廊ではレリーフばかりに目が行ってしまい見落としがちですけれども、いくつか残っています。ただ、保存状態はご覧の通り良くありません。 |
それでも、上の写真のように柱だけが残っている部分に彫られているデバターには、やはり目が行ってしまいます。このような場所に作られたデバターの多くが、今では崩壊しなくなってしまったのだろうと考えられます。 |
アンコールワットのデバターと比較すると、ここバイヨンのデバターは全体的にお上品な雰囲気が漂う女官が多いと私は感じています。上のデバターもそうした上品なデバターの一つです。アプサラのデバターも多いアンコールワットではデバターに躍動感や個性が感じられたりしますので、そういった点では、観光客としてはアンコールワットのデバターの方が魅力的かも知れません。 ふと思うのですが、バイヨンを建設したジャヤバルマン7世は、それまでクメールに侵攻していたチャンパ軍を滅ぼした英雄で、クメール経済を立て直した名君です。当時の様子を第一回廊のレリーフに詳細に残しながらも、退廃的な色の薄い寺院として、今を将来に伝える寺院として建設したのがバイヨン寺院だったのではないでしょうか。 |
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