プリアカンはジャヤヴァルマン7世の父の菩提寺 |
プリアカンは、1191年、ジャヤヴァルマン7世が亡くなった父の菩提寺として建てた仏教寺院です。(もともとは仏教寺院でしたが、後にヒンズー教徒であるジャヤヴァルマン8世によって仏像はすべて破壊され、ヒンズー寺院になっています。)ジャヤヴァルマン7世はこの地に進出していたチャンパ王国の軍隊をトンレサップ湖の戦いで破ったのちに、ここプリアカンの場所で壊滅させ、この地をクメール王朝のもとに取り返した功績から、王位に登っています。ここプリアカンのある場所は、彼が最大の功績を打ち立てた場所であり、その地に父の菩提寺を建てたのもうなづけます。 ジャヤヴァルマン7世はクメール王朝の最盛期を築いた英雄である一方、王都を建設するなかで、仏教徒としてとしてバイヨン寺院やタ・プロームといった巨大な寺院や象のテラスやライ王のテラスを建造したことでも有名です。 プリアカンというと、上の写真のギリシャ時代の建造物みたいな建物ばかりが有名ですが、実に見どころ豊富な寺院です。 |
上の写真はプリアカンの西にある門です。観世音菩薩が見えます。観世音菩薩の顔は、ジャヤヴァルマン七世が父に顔に似せて彫らせたといわれています。 |
西搭門わきのガルーダです。ガルーダはもともとはインド神話に出てくる神鳥ですが、仏教においては仏法守護の神として知られています。口から金の火を吹き、赤い翼を広げると336万里(1里は中国では500mです。)にも達するとされていて、 鳥頭人身有翼の姿をしています。 ガルーダはこのプリアカン寺院の東西の入り口わきに彫られていて、まさに、寺院の守り神として彫られたことがわかります。 |
ガルーダはここプリアカーンの守り神ですから、参道の両脇に並ぶ石にも彫られています。 |
参道の両脇に並ぶ石に彫られているガルーダ。数多いアンコール遺跡の中でも守護神としてガルーダがこれだけ多数の彫られているのは、私が知る限りここプリアカーンだけです。他でガルーダ像が目立つのはバンテアイ・スレイですね。 |
上の写真はプリアカン東搭門付近の榕樹(ガジュマル)です。タ・プロームと似たような光景です。 プリアカンの境内は広いのでどんなに早く回っても見学に1時間以上を要します。でも、見どころは豊富で変化に富んでいますので、決して飽きることのない寺院です。次から詳細に見ていくことにしましょう。 |
西搭門周辺 |
プリアカンは東西に入口があって、、東から入って西に出るとか、西から入って東に出ることもできて、そういうまわり方をすると時間のロスがありません。と言うのも、途中の中央祠堂周辺は建物が込み入っているうえに、途中、建物が崩れているところもあって、東西を通り抜けるのは結構骨が折れるからです。 上の写真は西搭門です。ここからプリアカンの境内に入っていきます。 |
プリアカンの境内には崩れ落ちた壁や屋根が密林から発見された状態のまま保存されています。上の写真は西搭門を入ってすぐの境内の様子です。イメージ的には、同じ時期に仏教寺院として建てられたタ・プロームに似た雰囲気がありますが、タ・プロームよりは少し小規模です。 |
デバター、連子窓、壁の彫り、‥‥。 雰囲気がいいですね。 |
建物の裏に回ればここに経蔵がありました。この辺りは比較的装飾の保存状態が良く、例えば柱の彫りが柱一つずつ異なっていて綺麗でした。 |
綺麗に保存されているデバターもいくつか見かけます。 |
屋根の部分に彫られたレリーフも、そのうちいくつかは保存状態が良く残っています。 上のレリーフでは戦う阿修羅が描かれています。阿修羅は仏教に帰依してからは、仏教の守り神とされています。 |
日本の阿修羅は腕が6本ですが、ここの阿修羅像は腕が10本で、すべてに武器を持って戦います。「阿修羅のように」という言葉がありますが、それはこのようにすべての腕で戦う阿修羅から生まれた言葉なのです。 |
津波に、経蔵の上のレリーフは上の写真の通り、削られてしまっています。恐らくヒンズー教と相容れない内容だったので、ジャヤヴァルマン八世の時代にヒンズー寺院になる際、削られてしまったものだと想像されます。 |
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中央祠堂周辺 |
上の写真は中央祠堂にある仏塔です。 実際には周りがもう少し暗いので、壁からの明かりがまるで蝋燭の炎のように見えて幻想的です。 |
中央祠堂周辺は、屋根が崩れ落ちてしまっている部分が多く、東西に走る通路以外は行き止まりのような状態です。それでも、東西に走る通路を離れて脇道に入ってみると、このような場所があります。この場所はジャヤヴァルマン七世の妻(王妃)がジャヤヴァルマン七世の勝利のために毎日祈りを捧げた場所だそうです。 |
そんなジャヤヴァルマン七世の妻をモデルとして彫られた像です。優雅な王妃の姿を再現しています。 ただ、この写真からも分かるように、王妃の像のあたりは屋根や壁が崩れ落ちてきており、私が行った2014年5月現在、正面からも横からも写真を撮るスペースがありません。崩れ落ちた壁の向こうに腕を回して片手で撮影するのが精一杯なのです。ここはガイドさんがいないと辿りつけない場所かもしれません。 |
中央祠堂内にはリンガの像も数多くあります。 |
アプサラ、そしてナーガにまたがるガルーダ |
プリアカンで最も有名な建物である二階建ての経蔵です。柱を見ると、一階部分が円柱、二階部分は四角になっています。 この円柱型の柱というのがアンコール遺跡では珍しく、まるでギリシャの遺跡を見ているかのようです。この日は素晴らしい青空でしたので、青空に映える白い柱が大変印象的です。 |
踊り子のテラスと呼ばれる建物内にある「踊る13人のアプサラ」のレリーフです。踊り子のテラスは上の地図でもわかる通り、東門から入るとすぐのところにあります。有名なギリシャの遺跡のような二階建て建物の隣にあります。 踊り子のテラスの上の方に彫られていますので、見落とさないでください。 |
「踊る13人のアプサラ」のレリーフを少し拡大してみました。 数えてみると、確かに13人います。 |
さらに拡大してみると、細かなところも見えてきます。保存状態も良いので、綺麗ですね。躍動感あふれるアプサラのレリーフは、見事と言うしかありません。 |
この踊り子のテラスの中で、もう一つ見落としてはならないのが、上の写真です。蛇神ナーガにまたがるガルーダです。こちらは逆に保存状態があまり良くないので、ちょっと判別が難しいですし、さりげなく床に並べられているだけですので、ほとんどの観光客は目に留めずに通り過ぎてしまいます。 ナーガもガルーダも仏教の守護神ですから、力を合わせて仏教を守るということなのでしょうが、ナーガにまたがるガルーダという構図は滅多にないものですから、これは見ておく価値があるでしょう。日本語の多くのサイトでは、ガルーダがナーガを踏みつける像という紹介がなされていますが、この解釈は誰かが間違って紹介したものが広められた話であって、間違った解釈だろうと私は考えています。 |
デバターと連子窓です。連子窓と言ってもいわゆる偽(にせ)窓で装飾的な意味合いです。この頃の遺跡にはよく見られる装飾です。 |
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建物を侵食するガジュマルの大木 |
上の写真は東搭門です。プリアカンを西から東へと歩き、中央祠堂を抜け特にギリシア風二階建て建物や「踊る13人のアプサラ」を見てしまうと、印象的には弱いのですけれども、かなり原形をとどめているし、今写真で見ると、もう少し丁寧に見ておくべきだったかなと思っています。 |
と言うのも、東門まで来て、ガジュマルに浸食されている建物の姿を見ることばかりに頭が働いてしまったのです。確かに、この光景はタプロームでも散々見た光景なのですが、やはり迫力があります。 ガジュマルは300~500年くらいでこのくらいの高さに成長するらしいです。このプリアカン寺院が建設されたのは1191年です。すると、それから数百年たってから伸び始めたガジュマルが密林の中で徐々に寺院の建物に覆いかぶさってきたということになりますから、確かに話としては計算が合います。人間の力など、自然の力に比べたらいかに弱いものなのかを、この風景は語ってくれているような気がします。 |
少し後ろに引いて撮影しました。 プリアカンはタ・プロームのように混んでいませんので、この自然の力の偉大さを感じるまで、ゆっくりと雰囲気に浸ることができます。 この日の青空もいいですね。 |
見どころ豊富なプリアカン寺院。東門から入るより西門から入った方が、クライマックスが最後に待っていてより印象的になるかなという気がします。このページの上の方に地図を載せていますので、地図を見ながら見学計画を立ててください。 |
アジア写真帳(アンコールワット) |
アンコールワット概要
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私も使っています。